そばにいて、そしてキスをして
第6章 心が緩む場所
自宅に戻ると、玄関の前に松田がいた。
お互い鍵は渡していない。
松田がこのマンションに来るのは真緒が食事に誘うときであり、松田から来ることは滅多にない。
倉沢と同じくらいだろうか。長身をドアに預け、両手をポケットに突っ込んだままうつ向いて立っていた。履き古したジーンズに包まれた細い脚の片方がそこにあった小石を蹴った。
「おかえり」
松田のひとことで、真緒は大体の予想がついた。どこに行っていたのか、誰といたのかは聞いてこない。いつもそうだ。
「どうしたの。珍しいね」
松田を部屋に通して、真緒は着替えるために寝室に入った。できるだけ早くリビングに戻るつもりだったのに、松田が寝室に入ってきた。
後ろから抱きしめられ、身動きがとれなくなった。慣れ親しんだ、研究室の匂い。薬品と埃が混ざった匂いは松田のシャツに染み込んでいた。松田の腕の中で真緒は冷静に倉沢との違いを感じていた。
それは、真緒自身の違いだった。
「真緒さん、オレ……研究留学に応募してて……ほぼ決まってたんだ」
「うん……」
この人は、年上なのにいつまでも『真緒さん』と呼ぶ。真緒が研究室にいたころは、普段の会話も敬語だったことを思えば、変わったけれど……
「けど、いきなり中村に決まったってさ」
松田はさらに強く真緒を抱きしめ、沈んだ様子で言った。
中村、とは松田の同期で確かまだ助教だった。松田はこの歳で准教授なのだからかなり早い出世である。その彼に、留学のチャンスを奪われたかたちだ。
「残念だったね」
真緒は自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「……本当にそう思ってる?オレさぁ……バチが当たったのかなーって」
「……?どういうこと?」
「真緒さんのことほったらかしで研究一直線でさ、うまく行かなくなると真緒さんに八つ当たりして」
「松田さん……」
「けど、止められないんだよ!真緒さんしか、分かってくれないんだ」
そして松田は、真緒を殴った。腕をねじりあげ抵抗できないようにし、何度も顔を殴った。
あざができそうになると、次は脚を蹴った。
「やめ……やめてよ!」
真緒は、初めて拒否した。ありったけの力を振り絞って叫んだ。その声に松田は我に返った。しかしそれは松田の怒りを増幅させただけだった。
お互い鍵は渡していない。
松田がこのマンションに来るのは真緒が食事に誘うときであり、松田から来ることは滅多にない。
倉沢と同じくらいだろうか。長身をドアに預け、両手をポケットに突っ込んだままうつ向いて立っていた。履き古したジーンズに包まれた細い脚の片方がそこにあった小石を蹴った。
「おかえり」
松田のひとことで、真緒は大体の予想がついた。どこに行っていたのか、誰といたのかは聞いてこない。いつもそうだ。
「どうしたの。珍しいね」
松田を部屋に通して、真緒は着替えるために寝室に入った。できるだけ早くリビングに戻るつもりだったのに、松田が寝室に入ってきた。
後ろから抱きしめられ、身動きがとれなくなった。慣れ親しんだ、研究室の匂い。薬品と埃が混ざった匂いは松田のシャツに染み込んでいた。松田の腕の中で真緒は冷静に倉沢との違いを感じていた。
それは、真緒自身の違いだった。
「真緒さん、オレ……研究留学に応募してて……ほぼ決まってたんだ」
「うん……」
この人は、年上なのにいつまでも『真緒さん』と呼ぶ。真緒が研究室にいたころは、普段の会話も敬語だったことを思えば、変わったけれど……
「けど、いきなり中村に決まったってさ」
松田はさらに強く真緒を抱きしめ、沈んだ様子で言った。
中村、とは松田の同期で確かまだ助教だった。松田はこの歳で准教授なのだからかなり早い出世である。その彼に、留学のチャンスを奪われたかたちだ。
「残念だったね」
真緒は自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「……本当にそう思ってる?オレさぁ……バチが当たったのかなーって」
「……?どういうこと?」
「真緒さんのことほったらかしで研究一直線でさ、うまく行かなくなると真緒さんに八つ当たりして」
「松田さん……」
「けど、止められないんだよ!真緒さんしか、分かってくれないんだ」
そして松田は、真緒を殴った。腕をねじりあげ抵抗できないようにし、何度も顔を殴った。
あざができそうになると、次は脚を蹴った。
「やめ……やめてよ!」
真緒は、初めて拒否した。ありったけの力を振り絞って叫んだ。その声に松田は我に返った。しかしそれは松田の怒りを増幅させただけだった。