テキストサイズ

そばにいて、そしてキスをして

第7章 私じゃなくて

「言ってなかったこと?」

真緒は洋輔の向かいに座り、チョコレート菓子の箱を洋輔の方に向けた。それをひとつ、つまんで口に入れたかと思うと、きのこの形をしたチョコレート部分だけを食べた。

「去年の冬に、倉沢貴司が店に来たんです。真緒さんがちょうど休憩の時」

また次のきのこを手にして、チョコレートだけ食べた。

「髪の長い女性は、毎日ここで働いているのか、って」

勾玉のようなビスケットが2つ並んだ。

「そうですけど、って答えたら、ありがとうって。その直後ですよ、新日本フィルの芸術監督に決まったのは」
「ふー…ん」
「真緒さんが髪切ってやっとわかりました」
「何が?」
「倉沢貴司は、死んだ恋人に似た女性を見つけたんですよ」

真緒は否定できなかった。

「その女性に近づくために、新日本フィルの仕事を引き受けた。真緒さんの店の近くにある新日本フィルでね」

最初から、そのつもりで…?

「真緒さん、やめといた方がよくないですか?」

洋輔は、いつもの説教じみた口調になって真緒を見た。

「…もう、遅いよ。抜け出せそうにない」

真緒は正直に自分の気持ちを言った。育ちのよさそうな、曇りのない瞳をまっすぐに真緒に向けて、洋輔は続けた。

「ちょっと前にもオレ、真緒さんに『ジャム男は忘れろ』って言いましたけど…」
「…言われた」

松田という恋人がいながら、人気音楽家である倉沢と知り合い、ジャムを交換した時。

「オレじゃダメですか」

洋輔の柔らかそうな髪が、開け放した窓から入る風に揺れた。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ