しのぶ
第5章 5・真実の影
現在最も天下人に近い家康の人生は、言われなくとも元康も知っている。それは苦難と我慢の道のりと言っても違いない、平坦とは程遠いものだ。
「輝様も、今は汚名を被っても耐え忍べ……と?」
「生きてさえいれば、未来は開かれます。しかし意地を貫き死ぬのも、また武士の道。最後に何を選ぶかは、本人にしか分からない事でしょうが」
志信はその場に座ると、深々と頭を下げる。額に土が付く事もいとわずに。
「私は、あなた方に生きていてほしい。そう思ったから、一度戻ったまでです」
「しのぶ……」
元康は志信の前に膝を付くと、志信の顔を上げさせる。土に汚れた顔は、元康が知るままの志信だった。
「――さようなら、愛しい我が君」
ぽつりと残された言葉は、風に攫われすぐに消えていく。そしてその風に乗り、志信も瞬く間に去っていってしまった。本気で走る忍びに追いつけるほど、元康は屈強ではない。それ以前に、まち針のように刺さる愛の言葉が、元康の影を縫い止めて動けなかった。
元康の頬を伝う、小さな川。流れる水が、元に戻る事はない。
一年という時に、意味はあったのか。己の心に問いかけても、涙に滲む目では真実を見定める事は出来なかった。