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しのぶ

第1章 1・光への生還

 
 だがそれも、隆景が生きていた頃の話。二年前隆景が亡くなり、彼の養子である秀秋が家を継いでからは、毛利との関係を解消し独立していたのだ。

「あの若造、輝様から離れるだけでは飽き足らず、仇をなす気か」

 元康は親指の爪を噛み、苛ついた独り言を漏らす。志信から見れば元康も秀秋も、どちらも同じく若造である。志信は元康の手を取ると、噛んだ親指を両手で包んだ。

「せっかくの白魚のような手が、そのように噛んでは汚れてしまいます。悪い癖ですよ」

「……だって、しのぶが嫌な報告をするから」

「しのぶ、と呼ぶのはお止めくださいと申したでしょう」

 志信の名は「さねのぶ」と読むが、「しのぶ」とも読める。だが忍びである志信がしのぶなどと呼ばれては、正体を触れ回りながら歩いているのと同じ事。いくら殿の口からでも、その愛称で呼ばれるのは許し難い。

「志信はしのぶでいい。どうせ「さねのぶ」だって、本名ではないのだろう?」

 だが元康は悪びれる様子も改める様子もない。拗ねてそっぽを向く姿に、志信は苦笑いを浮かべた。

「私は、殿だけの忍びですよ」
 

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