しのぶ
第1章 1・光への生還
本名など、忍びにとってさして重要なものではない。名前など、とにかく伝わればなんだって構わないのだ。もっともそれも、正体が悟られない名前なら、ではあるが。志信が元康の手に忠誠の唇を落とすと、元康はよそを向いていた首を元に戻した。
「……それで、お前は今の情勢をどう見る?」
「小早川が間者を送りこちらを探る……という事は、輝元様率いる西軍の戦力を量っているのでしょうね。小早川家は西軍の協力を申し出てはいますが、徳川に寝返るやもしれません」
「自分は秀吉公の養子でもあったくせに、寝返りの危険もあるとは。毛利家との関係解消といい、先代からの恩というものを知らないのか、あの馬鹿殿は」
石田三成と徳川家康の対立は、名目上豊臣政権内のいざこざとなっている。しかしこれから引き起こされる戦を、ただの内乱と考えている呑気な武将は一人もいないだろう。
西軍が勝てば、太閤の残した時代はこれからも続いていく。しかし家康の率いる東軍が勝てば、日の本に新たな時代が生まれる。保守か、革新か。毛利家はもちろん、日の本中の武将が、二つの選択を迫られていたのだ。