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メビウス~無限∞回路

第9章 鳴き声(後編)

「そんな所から挨拶とは恐れ入る…」
「貴方が此方に堕ちてらっしゃるとは、天照様も呆れられたのかな?」

三貴神を相手にしているとは思えないほどに、慇懃無礼にゆったりとした動作でバスタブから出てくる。その腕には小さな仔猫の姿が見えた気がして、神楽は目を凝らすが陽炎のように消えた。

「中途半端な優しさは、意図せず相手を傷つけることもあるんですよ?」
「うっせなぁ…イソギンチャクに子供が遊ばれるのを見るのが嫌だっただけだ」
「…そういう所はとても好ましく思うね、…やっぱり」
「うるせぇ、お前に好まれても嬉しくもねぇな」
「でしょうね、……」

その後に続いた言葉は短く、とても小声だったので2人の耳にまでは届かなかった。

「まあ、今回は俺の分が悪い…」

ちらっと神楽を見る瞳をそのまま素戔嗚に向ける。左手を布留と先ほどまで覆っていた瘴気が消える。雷に沿う稲光の強い光に視界が遮断されている間に、赤髪の男は姿を消していた。

「なんだったんだ…あれは」
「…………っ」

その光の後には子供の姿も、横たわっていた筈の男の姿もない。…バスタブに見えたのを思い出し、神楽がまだふらつく足で走り寄るとバスタブの中で、両手で耳を押さえて頭を振ってブツブツと何かを言っているのが見えた。

「生きている…」

生きているからと言って安堵出来るような感じに見えないが、後から来た素戔嗚の姿を解いた尊が駆け寄ってくる。女の肩を叩くと短い悲鳴を上げたものの、興奮するでもなく呆然と2人を見上げた。
20代前半に見えた女性は周囲をしきりに見渡す。子供のことが知りたいのかと声をかけようとした最初の一言は尊に怒りを。神楽には遣る瀬無さを与えた。

「子供が欲しいならあげるから、殺さないでっ!!」

誰であれ自分の命は大事だ。…神楽は子供の御霊を浄化も不十分な上に、還せてあげないことを思い出す。自分だって光から目を守るために子供のことを気には出来なかった。
唇を噛んで俯くしか無かった神楽の肩を、尊がグイッと強めに引く。そのまま片手を女性の頭上に向けて薄く笑うと「おやすみ」と一言呟いて背中を向ける。背後で風が動くのを感じて、神楽が振り返ろうとしたものの。尊の力が強くて振り返ることは出来なかった。
そのまま出口から出ると、そこはまだ瘴気の残留が激しく。視界は霧か靄によって霞がかっていた。

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