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硝子の挿話

第9章 滄海

 意味がわかっていない。いや分かられても正直困る手前、サイティアは苦笑を失笑に落としタルマーノの頭を撫でた。
「とりあえず、急ごうか…待っているなら」
 タルマーノの手を繋いで、家路を急ぐ。空を流れる雲に暗雲が広がりだしている。
「?」
 少し冷泉場から離れているせいで周囲に民家はない。この辺りは丈の低い草しか生えないから、空ははっきりと映し出されている。―――嫌、な予感が胸を焦らしだす。

「ティアは起きているのかな?」

「呼びに行ったのか?」
 うん、頷いてまだ寝ているからと先にサイティアを呼びに来たのだと言った。

「?」
「どうしたの?」

 急速に広がる雨雲に、自然と二人の足取りは速くなる。家が近づいてくると、よく分からない違和感。





 もしくは六感という部分が何かの感触を捕らえた。
 それは隣で学びだしている段階のタルマーノも感じたようだ。息を呑む音が妙に耳に響く。タルマーノは小声で囁いた。

「何か、変じゃない?」
「…タルマーノ、お前は帰れ」

 足を止めて言うと、タルマーノは何か言おうとして止まる。それから頷くと自分の家に向かって走っていった。
 それを見送るでもなく、サイティアも足音を忍ばせながら家路へ向かう。威圧感とも言える空気が、周囲に流れている。―――ただ事ではない。
 直感が告げるのは、ティアに対して神殿から受ける圧力。星見が選んだと、押し寄せてきた日を思い出した。

「奪わせない…っ!」

 いっそ駆ける足が縺れても、前へ前へと急ぐ。全てを失う訳にはいかない。ティアを失えば、自分が生きている理由さえ見失う予感があった。
「っ!!」
 扉は半分以上その役割を失っている。胸が苦しく、心音は平常を失い高鳴っている。無意識に握った拳は、強く胸に引き寄せて手で触れるだけでも振動は伝わっていた。
 家自体はそんなに大きい訳ではない。寧ろ集落の中では小さい方だ。表扉を開けると最奥までの家屋全てが見える。―――が、この静けさはおかしい。恐怖からか、生唾を飲み込んだ音が耳を劈(つんざ)く気がした。

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