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硝子の挿話

第11章 予感

 自分の上着の中で、身体を丸めて眠っている姿がいとおしい。
 恋だけでは足りなくなってしまった。―――そんな気さえすると苦笑したが、目の前の愛しさに微笑を浮かべた。
 駄目だと思うのに、理性が上手く働かない。唇を幾度も寄せては頬に指先に触れた。

 地上に舞降りた天使。

「…好きだよ」
 呟いた声は、自分でも驚くほど、優しく柔らかい声だった。
「……今なら、ティアの望む〔優しい〕謌が、俺の心を綴る音が作れるかも…しれない…な…」





 愛しい、愛しいと。
 羽根を広げ、舞い遊ぶ蝶のような詩。
 朝の強い陽光が差し込む。洞穴は狭く小さい。こんな場所があることも、昨日ティアに手を繋がれ案内されるまで知らなかった。
 昨日は、無言で二人は夜の砂浜を歩いた。
 握り合った掌から、伝えたい情愛と伝わってくる慕情。
 顔を眺めていると、抱き寄せて、守りたいと思ってしまうのは心を身体と一緒に重ねたからか。

 もう、手放せない。
 多分、二度と。

 ティアの過去に抉られた傷口は、闇に隠れて見えなかった。
 けれど引きつった傷跡は、唇で辿れば露になり、嫌がったティアに言った。
「水耀宮の片隅で、俺が生きても構わない…」
 生涯の恋人として、婚姻が結べないなら、側にいようと心を決めた。
 今更背徳を恐れはしない。
 強い意志がめばえる。人間は守りたいと思える存在と出会い、一歩前進するのだろうか。
「似ていると思ったのは、もしかして心の中にある〔何か〕なのか」
 昔愛した女性の面影を追う。
 けれどこんなに穏やかな気持ちで、存在を思い返すのは初めてだった。
 いつも、どこかに哀惜が滲み。痛みと自己嫌悪が、憎悪にも近い恋情に雁字搦めで苦しかった。

「…新しい……恋人だよ」

 額に掛かる髪をかきあげて、口付けをすると一人呟く。
 哀愁は自分の奥で、衝撃を与えるのだ。だが次第に甘い痛みに変わる。


 愛しい。
 愛しい。
 咲き乱れる花の中。

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