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硝子の挿話

第3章 螺旋

 キュルとは少女と仲良くしてくれているイルカに付けた名前。しかしこの時間は仲間と過ごしているはずで、少女は首をかしげ、長いドレスを躊躇もなくまくり、白い足をみせた。

「待っててくださいね」

 岩と岩の間を器用に跨ぎ、近づいていく。
「キュルなの?」
 下に声をかける。しかし反応がまるでないために、少女は不思議そうに、何の塊かと身を乗り出し覗きこんだ。

「!」

 黒い塊と思ったのは、人間の頭部だ。思わず出そうになった言葉にもならない悲鳴を、喉の奥で止める。考えるより先に体は動いていた。
 無意識に近場に誰か居ないかと探すが、ここは少女を守る男以外は入れない。そんな場所なのだから他に人がいるはずもなかった。





「そこの方っ!…意識はあられますかっ?」
 精一杯の大きな声を張りあげる。しかし少女の声は小さく波の音に邪魔されていた。
「………」
 当然のことながら返事はかえってこない。若干青ざめながら少女は息を呑むと、ドレスを裂いて抵抗を少なくし、暖かい海水に腰まで浸して塊に近づいた。
 頭を持ち上げて見てみると、それは青年だ。
 大小いくつかの古傷に、真新しい傷口から鮮血を流している。ぷかぷかと海水に浮かんでいるドレスを再び裂き、青年の傷の上を縛った。
 とても簡単な処置を済ませ、少女は青年の首の後ろに腕を回し、体勢を整えて心音を確かめる。勢いは弱いが、確な鼓動はまだ生きたいと脈をうっている。今度は海水がこれ以上鼻や口に入らないようにしながら、顔に海水をかけた。

「…う…っ」

 青年の瞼が震える。気を失い落ちてから時間はあまりたっていないらしい。
「目をさましてくださいませっ」
 何度も幾度も呼びかけ、瞳が開くのを根気よく待つ。
「リ…ティ…」
 わすがに開いた口から、細い糸を紡ぐような声。一瞬少女は驚いたように瞳を開き、それから現状を思い出して、慌てて意識を呼び戻そうと頬を軽く打つ。
「動けますか」
 虚ろだった瞳に光が宿る。青年は少女を驚愕に見つめ、縛られた傷口をみた。
「…誰?」
 足場がつく水位しかない場所だったが、それでもとりあえず陸に上がり、足元がふらつく青年を支えた。
 少女を不思議に揺らぐ瞳で、今にも消えようとする炎を見るように見つめた。

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