テキストサイズ

硝子の挿話

第3章 螺旋

「お名前は?」

 その視線に晒され続けるのが恥ずかしくなり、思ったよりも強い声が出た。
 ここは禁圧の場だと知らないということは、水耀宮の民ではない。
「?」
 青年がまじまじと見るから、とりあえず曖昧な微笑でかえす。
「名前…聞かれるのは、お嫌?」
 淡く透明な声が、少女の声帯から出される。まるで詩うような軽やかさで。

「ユウリヤ」

 君は? と聞かれて、海水で張り付いた横髪を後ろに流す。裾を軽く絞りながら顔を上げた。
「私、ですか?」
 栗色に紫がにじんだような大きな瞳が笑う。裾を絞りきるとホッとしたのか、その場に座り込んだ。
「よかった…生きていて…」
 ほつれて張り付いた髪をほどきながら呟く。けれど視線は、真っ直ぐに青年に向けられていた。
 無邪気で汚れのない瞳―――。
「怪我は痛いですか? ユウリヤ」
 立ち上がり、手を差し出す少女。
「いや…怪我は大して…誰?」
 青年の問いに少女は苦笑のような、淡い哀しみをにじませたかのように笑う。
「ティア…」
 静かにゆらりとした声で名乗る。戸惑いを残した名乗りにユウリヤが首を傾げた。
 夕陽はその間も容赦なく傾いていき、ゆっくりと海の向こう側へと沈んでいく。





「ここから早く出ないと…」
 差し延べられた手を取り、ユウリヤが立つ。日没までわずかしかない。この場に居るだけで、下手な兵士に見付かれば簡単に断罪されてしまう。焦るティアとは別にユウリヤは分かっていないのだろう落ちついていた。
「後少しで迎えが来るので、傷を手当てしましょう」
 大人のように振る舞うが、どう見ても年下の少女に、ユウリヤは苦笑した。
「いらない」
「…ばい菌が入り大事にいたる事もあります」
 反らすことを許さない眼差しに、目を背けて顔を伏せた。
「余計なお世話だ…姫さんか何かなら、構わず去ればいい」
 何かに苛立ちを押さえられず、ユウリヤはティアの手を強く振りほどいた。
 言葉にしてしまったと思った瞳がティアを見た時には、明るかった瞳は暗くなってしまっていた。

「…私は…」

 緩く唇を噛み締めて、軽く伏せた瞳が揺らぐ。
「………」

ストーリーメニュー

TOPTOPへ