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硝子の挿話

第3章 螺旋

 ユウリヤから瞳を反らすように伏せたティアの視界に、大きな車が上に上がる階段の横に付けられ止まる。微かに動揺したティアの体がこわばりをみせた。
 車から出てきたのは、見るからに騎士の姿だ。

「………」

 ティアは泣きそうに笑い、塩水を被った髪をほどき、耳に何度もひっかける。
「…もし…この景色を気に入ったなら…明日の夕刻に―――此処に…」
 ユウリヤの返事を待たずに、ティアは騎士の方向に走っていった。
 階段を軽い足取りで上っていく。振り返らなかったティアの瞳が濡れていた。
 最上段の手前で一度だけ立ち止まり、ぐいっと腕で顔を拭う。涙が勝手に溢れる。顔は伏せたままで一言だけ呟いた。

「私は―――姫、じゃない」

 雫が踵を返した風にのり、儚く岩肌に吸い込まれた。
 騎士を見た瞬間から、ユウリヤの瞳は冷たくなった。
 深い悲しみか、それとも憎しみなのか、どちらにしても負が勝った感情だと、ティアにも分かる。―――それが悲しかった。
 あの眼差しは当然かも知れない。時代は既に貧窮を始めて久しい。豊かだと言われているアトランティスではあるのだが、異常気象が此処数年激しさを増していた。
 何よりも時の権力者は民を支配し、その不満はより弱者へ流れ、豊穣の土地だと謡われながら、餓死者や自殺者などは年々増加の一途を辿っていた。
 何のためにあるのか、南に位置するこの水耀宮よりも、冬が長い北の太陽宮の方が、よほど治安も保障も安定している。
 治世者の違いが、これほど差を広げている事実が痛い。
 平和を愛していたはずの心は、わずかな優越を争っている。西の月空宮ほどではないが、それでも視察が行き届いていないのが切なかった。
 果実が膨らみ、肥え…熟れすぎた故に、腐臭を漂わせている。
 文明が栄えると人間は退化しだした。





 一番優れているのは、アトラス人であると。別の幼い文明に育つ人間を―――、いや彼ら権力者は、下等であると称し『家畜』として、あらゆる自由を奪い虐待を与えていた。



 堕落と陰鬱。



 裏の素顔は醜く残虐である。
 実態を捉え、非難の声をあげれば、絶対者の力で生きてきた痕跡さえ剥奪された。

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