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硝子の挿話

第3章 螺旋

 その気持ちを殺し、円柱水晶の前に座る。神子の仕事の一つで、朝陽を招く仕事だ。沈んだ太陽が明日も昇り、そしてこの国を照らすようにと願う。
 邪念を祓う意思。
 この世界の幸を祈る。
 祈りは夜通し続き、朝陽が昇りきるまでひたすら祈るのだ。―――太陽信仰。





 ティアは祝詞を謡うように口にする。頭の中は、逆に凍る程に冷静だった。
 傍らで変わらないのは、イルカのキュルだけかもしれない。
 海に腰以上つかりながら、キュルの背中の上で祝詞〔雨降る〕を謡った。
 その声は、透明に澄んだ旋律を刻み、澄み渡る空へと伸びていく。晴天が広がる蒼い空は、謡いが最高潮になる頃、曇り初めて小さな細い雫を落とす。謡いが終わるとほぼ同時にそれはしとしとと小雨になった。

「やったのね! みて…キュルと私のお声は、お空に届いたのだわ」

 誰にも見られてはダメよ、と繰り返し散々母親に言われていたのに、ティアは空と重なる気持ちが嬉しくてただ謡った。
 それが何を意味し、どうなるか分からなかったから。

 どうして?

 それは聞けない疑問を膨らませていたが、生来が暢気な気質だったティアは、雨を寄せるのは小さな自慢だったのだ。
 雨を初め、映え渡る緑など森羅万象との対話が好きだ。内緒の友達であるイルカのキュルと時間を共有していた。
 両方がいけなかったと、反省した所で家族は帰ってこない。

 ―――イルカは海神の化身。

 化身の背に乗り、晴れていた空から雨を落とす。ティアには軽い遊び。それが仕事という形になるまで時間はかからなかった。
 泣き叫んでいた子供が、ひとり目をさましたのは、当時この水耀宮の全てを束ねていた前司祭の一室だ。大怪我を負い家族を失い身寄りのないその後のティアを育ててくれた。
 両親の記憶は年々薄れ、消えていくなかで、去年全権を死去を間近にした司祭から受け継いだ。権力がひとつ、またひとつと手に入る度に、恐怖は大きくなり。濃くなっていく。

「…キュルだけが友達だわ…」

 ティアが特別視されている理由は、稀有なほど水に愛されていたことが要因であり、大人しく控えめな性格が仇となる他は恵まれている。多分―――本当に苦しんでいる民から見れば、幸せだ。

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