テキストサイズ

硝子の挿話

第4章 蜜月

 どうしよう。自分は自分の欲を押し付けてしまったのではないか。怯えるみたいに震える肢体。確かめようと、ティアは振り返ろうとしたところを止められた。

「イルカと遊んでろ」

 抱き込まれた胸が、強く脈打っている。―――怒っている訳ではないし、呆れた訳でもないと伝える心音。高く力強く鳴っている。まるでこの砂浜に寄せる波みたいだとティアは思った。
「ですが…キュルはもう戻ってしまったようで………」
 ユウリヤの言葉通りにしようと思っても、肝心のイルカは既にティアの様子を見ることなく、沖に向かっていた。
「う…っ」
「………ごめんなさい」
「あやまるな」
 その姿勢のまま、耳だけは真剣にユウリヤの話に傾ける。続きを促すように首筋に回された腕に頬を寄せた。

「…俺はそこで、一人の女と出会い―――短い恋をした」

 ゆっくりと、まるで詩を聞かせるように語りだす。月空宮の貴族に召抱えられた。
 雪の降る夜にひとりの少女に出会った。
 それは偶然か、少女は名前をリティアという。その貴族に飼われる見目麗しい少女だった。
 大人びた外見に性格も明るく、その身分でありながら卑屈にならず生きていた。
 無邪気で、物怖じのない性格は周囲に愛され、愛することを存分に知っていた娘。

「ティアとは逆だな…逞しいっていうか、」

 どう表現しよう。そう考えて笑う。気配だけで垣間見るその空気があまりにも柔らかく、切なかった。
 ティアは指先に針か棘が刺さったみたいな感じを覚えて苦笑した。
「本当に誰とでも、すぐに友達になれるような不思議な…女だった」
 大雑把で豪快な裏に、臆病で寂しがり屋が隠れていて。彼女の話では、来て半月もすると屋敷の中に顔見知りじゃない人間は、ほとんど居なくなっていたそうだ。
 ふたりが出会ったのは運命だと、言葉じゃない感覚を感じ信じていた。

「結婚したいと、真剣に思っていた…」

 相手は有力貴族の僕(しもべ)で、ユウリヤ自身は一楽師でしかないのに。叶わないのは分かっていたのに、………どこかで信じていた。
 強く抱き締めてくる腕の強さに、込められた想いは深い。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ