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硝子の挿話

第5章 白夜

 そんなに広い家ではない。覗き込んだユウリヤの前に、いつの間にかアルコバレーが立っていた。
「うわ…っ」
「ヒトを化け物か何かみたいに反応を返すでないわ…」
 呆れて呟くとそのまま、ユウリヤの隣を歩いて元の席に着く。扉を閉めてユウリヤもさきほどと同じ席に座った。
 シンとした空気が広がる。一度崩れてしまった空気を、どう立て直せばいいのかと、アルコバレーを見上げる。彼は何も言わず机の前に広げた羊の皮に何かを書き始めた。
「先生………?」
 何を書いているのだろうと好奇心が芽生えて問いかける。瞳だけを軽く上げるとまた伏せられ、黙したまま書を認めて続けていて視線すらあげてくれない。

「………」

 黙ったままの状態は、張り詰めた弦が切れそうな予感。ユウリヤはアルコバレーの楽器に手を伸ばし、即席で曲を奏で始めた。
「………いい音を出す」
 感心が言葉になる。ふいに洩らした言葉は、ユウリヤに無意識の笑みを浮かした。―――誰の、どんな言葉よりも嬉しい。
 敬愛する音を出すアルコバレーに、一人の弟子としてだけではなく、楽師としても認めてもらえたような気がして。
 夢中で音を紡ぐ。
 太陽宮の聖なる山の向こう側でしか、見えないと言われる極寒の白い夜。
 更けぬ夜に住まう神なる白い狼が守る大地。ユウリヤは一度も踏み込んだことはない。何故ならば、其処は禁圧の地と定められた故に。
「先生は太陽宮姫神子様をご存知だとか言っておられましたが、どんな方ですか?」
「姫神子…か…」
 くくくっと喉を押さえるみたいに笑う。それは敬愛というよりも近い絆を感じる。
「昔は絶世と言われた美貌を持っていたが、今は単なる婆になってしまった………惜しいな」
 何か大切な想い出が詰まっている。そんな柔らかさを瞳に見つけてユウリヤは首を傾げた。
「そういえば神子や巫は、麗しい方が多いと聞きますね」
「それが最低の条件だからだ」
 溜息みたいに吐き出された言葉。ユウリヤはよく分からなくてきょとんと首を傾げた。

「神の声を聞くのと、麗しいのとはどんな関係があるんですか?」

「………さあな」
 酷く沈痛そうに返された一言には、万の言葉が詰まっている気がして、それ以上を聞くことは出来ない。





 拒絶、を強く感じた。

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