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硝子の挿話

第7章 徒花

 過敏になった時など、他愛無い笑い声にも反応し、怖くて耳を塞いでしまう。一刻も早くこの場所から離れたいと逃避したいと願ってしまう。離れにある祈りの間が近くなり、ティアはさらに足を早めた。
 こみあげてくる感情は、日々の鬱積に歪みかける。所々解れている錯覚があった。

 悔しいのか。
 辛いのか。







 一歩進むごとに変化する淋しさや傷みが、脳内で混乱を起こしていた。
 大声を上げて、叫び出しそうになる。目頭からは意識する前に涙が滲み出す。慌ててそれを殺す。
 ヒトとは、同じ倫理感や道徳観念がなければ、他者と交れない生き物なのか。………それさえもティアには解らない。
 長い裾を持ち上げるが、足に引っかかり縺れる。危ないと分かっていても、思考はそんな場所に注意を払ってはいなかった。

「!」

 転ぶと思った瞬間、支える腕が、ティアの細い体を力強く包んだ。
「え…?」
 現状がまだ、理解の域に辿りついていないティアは、相手の顔を見上げる。
「サイ兄さま…」
 名前を呼ぶと、ティアにとって一番側に感じる肉親は、満面の笑顔を見せた。
「…ありが…とうです…」
 抱っこされたまま、その抱いている胸が、以前と少し違うことをふいに実感する。思わず恥ずかしくなり赤面した。
 安穏と過ぎていく年月は、確実に流れている事を知る。
「あの…ですね…、下ろして下さいませんか…?」
 両手で口元を隠し、恥ずかしそうに上目遣いに見上げる。前に抱き上げられた時は、こんな意識を持たなかった。

 平静でいられたのに―――。

 どうしてこんなに今『恥かしい』と思ってしまっているのか。その変化に、自分で驚いた。
 蛹から。羽化し、透き通った羽根を広げた蝶みたいだ。舐めた蜜の味を知り、他の花の味をひとつひとつ知るのだろう。
 ティアは確かに、サイティアを『男』という『異性』であると意識を始めたのだ。
 正直、こんなに早く理解するとは思っていなかった。
 真っ直ぐにティアを見つめるサイティアの瞳。―――複雑そうに心境が歪むが、それは胸中に沈めたまま笑みを浮かべた。
 そのまま優しくティアを、大理石で繋げられた回廊へと下ろす。

「そうか。一つ大人になったんだな」

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