たゆたう草舟
第8章 弓張る夜半に 千曲を超えて
昌幸様は西を指差すと、遠くを見据え語ります。
「誰よりも早く覇道を駆け抜け、織田を引き継いだ男――羽柴秀吉。あれは、真に真田が仕えるべき男だ」
「羽柴なら、信濃を守って下さると? しかし羽柴は、昨年小牧長久手で、徳川を攻めきれなかったのでは……」
「ああ。だからこそ羽柴秀吉は、その徳川を完膚無きまでに叩き潰した私を欲しがるのだ。私は信濃の安寧を、秀吉殿は徳川に対抗する牙を、悪い取引ではあるまい」
確かに羽柴は、攻めきれなかったとはいえ負けた訳ではありません。事実今も京や大坂といった都を押さえ、誰よりも天下に近い位置にいる武将と言えるでしょう。
「上杉景勝は義に厚い士だ。そして亡き謙信公以上に、理性的な人間でもある。こちらが無作法な真似を多少やらかしたとて、怒りのまま人質を殺す愚は犯さないさ」
「信繁様は、ご無事なのですね」
「今度は秀吉殿の元に、人質として送ってやったわ。おかげでかなりの恨みは買ったが、秀吉殿が相手では、景勝も手は出せまい」
この方は、どこまで先を見据えていたのでしょう。もしや徳川についたその時から、羽柴を目的地にしていたのかもしれません。