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【S】―エス―01

第22章 あの日――

 
 ……だが少年は、その少女の名前をまだ知らなかったのだ。


「私の名前はね――」


 それは、10月産まれの彼女にぴったりな名前。


 季節の変わり目になると、木々のほとんどがその色に染まるという。


「いい名前だね」


 名前の良し悪しなどそんなもの彼には分からなかったが、窓の外で太陽に照らされ色づく枝葉と彼女を見比べ、微笑は絶やさぬまま率直に思ったことを口にした。


 ひとつ大きく頷き両肩を竦(すく)ませにこにことはにかむ彼女のそれは、彼にとって見たこともないとても新鮮なものだった。


 うららかな秋の光が差し込むその日、1人の少年に名前がついた。どことなく物静かで、艶やかな黒髪の少年。


「また、来てもいい?」


 少し顎を引き遠慮がちに少年は問う。偶然の出会いだったが、少年はまた彼女と会いたい、そして話したい……そう強く思ったのだ。


 窓から差し込む秋の斜陽を浴びて、桜色に頬を染めた少女は、満面の笑顔で再び大きく頷く。


 笑顔がよく似合う、栗色の長い髪をしたその少女の名は『茜』。


 その日、1人の少年に名前がついた。


 『りく』――。それが、その少年につけられた初めての名前。


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