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【S】―エス―01

第37章 傀儡

 
 最後の一文には、『――我がドイツの友人、リヒャルド・ドルトへ』と書かれてあり、封筒に捺された消印の日付は5年前のものであった。


 あえて『リヒャルド』と呼んでいることから、この手紙を書いた人物が、ハロルドの中にまだわずかに残されているだろう良心へと語りかけているのが窺える。


 果たしてまだ彼に、その良心というものがあるのかは不明だが。


 ふたつの名前が1人の人物へと繋がった。やはり、写真の青年と彼は同一人物であったのだ。


(やっぱり、偽名だったのか)


 手紙に書かれたふたつの名前を交互に見比べ、内心独りごちる。


 ならばなぜ名前を偽ったのか。


 その由縁は、10世紀の神聖ローマ帝国設立より前から戦後まで続くチェコとドイツ間の領地侵略と、移民族文化が生んだこの国の歴史にあるだろう。


 だからこそ本名をひた隠し、英国名である『ハロルド』と名乗ったのかもしれない。


 瞬矢はここでようやくポケットから携帯電話を取り出し、刹那の番号を呼び出す。


 微弱ながらも携帯の電波は届いているようだが、繋がらない。虚しく、不通を知らせる機械的なアナウンスの声だけが耳に響く。
 

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