
普通の幸せ
第1章 日常
「菜穂が嫌なら、仕方ないな。風呂でも入ろうかな」
小さく溜息をつくと博紀が背を向ける。
「嫌なわけじゃ……」
「いや、いいよ。俺も持ち帰った仕事をやらなくちゃいけないし。正直遊んでいる時間はないんだ」
その言葉で初めて分かる。博紀が仕事より俺を優先してくれた事。
「博紀、ごめ…っ」
「もういいよ、俺も……疲れた」
追い掛けて肩に触れた俺の手を振り払って博紀が出て行く。
それ以上、追えなかった。
それ以上、その日は会話もなかった。
「ナオちゃーん。どったの?今日はいつもに増して暗いし不機嫌そー」
バイト先のコンビニで、品出ししていた同じシフトの城咲が小声で話し掛けてくる。
「うるせーな……ちゃん付けで呼ぶな。ガキのくせに」
城咲は俺より年下の大学生だ。いかにも最近の若者っていうノリやチャラチャラした見た目が嫌いだった。
「いや、お客さんも引いてるしヤバいっしょ」
さっき俺がレジをした二人の客が俺の方を見てヒソヒソ言いながら店を出るところだった。
「あー、さてはー、恋人と喧嘩したんだー?」
「………」
「……図星か。わかりやすっいな~」
「ぅ、うるせー!!レジ代われっ!!」
俺は昨夜の事を思い出して不覚にも熱くなった目頭を押さえて控え室に引っ込んでいた。
「ちょ、仕事中に泣くかフツー?センパイ、大丈夫ですかー?」
客が居ないのをいいことに城咲も俺を追って来た。
「センパイもやめろ。思ってもないくせに」
「俺より7つも年上で人生経験も恋愛経験も豊富なセンパイじゃないですかー」
にやにやしながらわざとらしい敬語口調でからかってくる。超絶うざい。
