501号室
第1章 気になる部屋①
重厚といえば聞こえは良いのですが、つまりは古めかしい、全体的に暗いといった感じでした。少子化の影響を受けていたかどうかは知りませんが、私が通院していた頃から、使っていない部屋などもあったようです。私の母親の年代の女性たちが出産した頃、ここの病院は大繁盛していたとのことでした。夫の母―姑もここで出産したことがあると聞いて、愕いたものです。もっとも、ここで生まれたのは私の夫ではなく、その弟の方ですが。
想像するに、夫の弟がS病院で生まれた頃というのは、今は使用していない部屋なども大勢の妊婦、産婦で満員だったことでしょう。それはともかく、私が娘を産んだ時、既に使われていない部屋は現実として存在していたことは確かです。
先ほど、私は手術室が五階にあると申し上げましたが、五階には他に浴室、回復室がありました。丁度、手術室の斜め向かいには大部屋らしきものがありました。らしきものと言ったのは、私がその部屋に脚を踏み入れたことがない、いえ、はっきり言うとドアを開けたこともないからです。
しかし、廊下に立って眺めると、確かに部屋の前によく病室で見かける大部屋特有のネームプレート―複数の人の名前が並んでいる―などもあったので、大部屋に間違いはないだろうと想像していました。
浴室が五階にあるので、私は娘を産んでからもしばしば五階を訪れる機会があったのです。術後数日すれば、シャワーもできるようになるので、私は決められた時間にエレベーターで五階に行き、浴室を使っていました。
そんなある日のことです。自然分娩をした人はせいぜい五日程度で退院してゆくので、手術を受けた私は自分より遅れて出産した人が次々に退院してゆくのを見送ることになりました。つまり、それだけ病院に滞在する日数も長くなり、五階に行くことも多かったというわけです。
その日、私はいつものようにエレベーターに乗り込み、五階にゆきました。五階に着き、廊下に立った時、少し手前に若い女性がひっそりと佇んでいるのを見かけたのです。そう、その人は歳は私よりは若く、二十代半ばに見えました。髪は肩までくらいのセミロングで、ピンク色のパジャマを着ていたと思います。色の白い、眼鼻立ちのはっきりとした、どちらかといえば美人といえるタイプの人でした。
想像するに、夫の弟がS病院で生まれた頃というのは、今は使用していない部屋なども大勢の妊婦、産婦で満員だったことでしょう。それはともかく、私が娘を産んだ時、既に使われていない部屋は現実として存在していたことは確かです。
先ほど、私は手術室が五階にあると申し上げましたが、五階には他に浴室、回復室がありました。丁度、手術室の斜め向かいには大部屋らしきものがありました。らしきものと言ったのは、私がその部屋に脚を踏み入れたことがない、いえ、はっきり言うとドアを開けたこともないからです。
しかし、廊下に立って眺めると、確かに部屋の前によく病室で見かける大部屋特有のネームプレート―複数の人の名前が並んでいる―などもあったので、大部屋に間違いはないだろうと想像していました。
浴室が五階にあるので、私は娘を産んでからもしばしば五階を訪れる機会があったのです。術後数日すれば、シャワーもできるようになるので、私は決められた時間にエレベーターで五階に行き、浴室を使っていました。
そんなある日のことです。自然分娩をした人はせいぜい五日程度で退院してゆくので、手術を受けた私は自分より遅れて出産した人が次々に退院してゆくのを見送ることになりました。つまり、それだけ病院に滞在する日数も長くなり、五階に行くことも多かったというわけです。
その日、私はいつものようにエレベーターに乗り込み、五階にゆきました。五階に着き、廊下に立った時、少し手前に若い女性がひっそりと佇んでいるのを見かけたのです。そう、その人は歳は私よりは若く、二十代半ばに見えました。髪は肩までくらいのセミロングで、ピンク色のパジャマを着ていたと思います。色の白い、眼鼻立ちのはっきりとした、どちらかといえば美人といえるタイプの人でした。