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501号室

第1章 気になる部屋①

 でも、眼の前のこのきれいな女性は、嘘をついているようにも私をからかっているようにも見えませんでした。本当に感じの良い優しそうな人だったのですから。
 私は彼女と今度逢ったら、そのときこそ、ゆっくりと話してみたいと思いました。入院患者は時間によって個別に入浴時間が決められているので、私は早く浴室に行かなければなりませんでした。急いでいたため、彼女の名も聞けずじまいで、ただ五〇一号室に入っているということだけを聞いたのです。
 私は彼女に軽く頭を下げ、急いで浴室に向かいました。
 しかし、私がこの女性と逢うことは二度とありませんでした。
 翌日の朝、顔見知りの看護士さんが部屋に検温に来た時、私は何げなく彼女のことを話しました。
「ねえ、五〇一号室に入っている人で、きれいな方がいますよね?」
 一体、どんな人なのか、いつ頃赤ちゃんを産んだのか、赤ちゃんは男の子なのか女の子なのか、私は大いに興味がありました。それに、それらを知っておけば、今度、あの女性に再会した時、話の糸口も見つけ易いというものです。
 でも、私の質問を聞いた看護士さんは、怪訝そうな顔で訊き返しました。
「五〇一号室?」
「ええ、五〇一号室です。髪が肩くらいまでの人で―」
 彼女の外観を説明する私を、看護士さんは何か薄気味悪いものでも見るような眼で見ています。私はその反応の異様さにハッとして、口をつぐみました。何故か、それ以上、廊下で見た女性のことは口にしてはいけないような気がしたのです。
「でも、五〇一号室は今はもう、使っていないよ。あそこは確かに昔は大部屋だったけど、もうずっと前くらいから全然使ったことないから」
 看護士さんが首を傾げながら言うので、私は慌てて話を合わせました。
「そうよね。そう、そう。私の聞き違いでした。五〇一じゃなくて、二〇一だったかも」
 四階まではその頃もまだ病室があり、実際に患者さんが入っていました。ちなみに、私は三階か、二階の部屋だったと思います。部屋番号もろくに憶えていないのに、その部屋の窓から見える病院の庭に、雪柳が満開に白い花を咲かせていたことだけが今も鮮やかな記憶となって灼きついています。

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