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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~

第2章 流転~身代わりの妻~

 その二日後のこと、千寿はいつものように嘉瑛から遠乗りの伴を仰せつかった。遠乗りとは名ばかりで、その実は狩りである。
 いつもながら感じることではあったけれど、必要なために獲物を狩るのならともかく、無益な殺生をして何が面白いのだろうか。
 嘉瑛は愛馬の鹿毛に跨り、疾駆しながら器用に獲物に狙いを定める。狙った獲物を逃すことは全くない。背に負うた矢筒から一本の矢を取り出し、矢をつがえると、一撃でどんなに離れた獲物でも仕留める。
 その技は神業とでもいえるべきものであった。乗馬にしろ、弓矢、剣にしろ、嘉瑛が武術においては卓越していることは千寿も認めないわけにはゆかなかった。ただ、これだけの武芸の腕を持ちながら、どうして嘉瑛は、それを人のために活かさないのかと疑問に思わずにはいられない。罪なき動物や人間を屠るために、剣や弓の腕を使う必要はない。例えば、仕留めた獣をその場に置き去りにするのではなく、貧しい領民にその肉を分け与えるとか、そういった考えは浮かばないのだろうか。
 どうやら、嘉瑛は罪もない人間を切るのと同様、獣の生命を奪うことにも何の感慨もないらしい。仕留めた獣は息絶えたまま、その場に捨て置く。どうせ、すぐに山犬の餌食になるのは判っているのだから、持ち帰り、その日暮らすのもやっとという領民に与えてやれば、彼等はどれだけ助かるだろう。しかし、そんなことを口にでもすれば、たちまちにして、滅多打ちにされるのが関の山だった。
 その日、嘉瑛は何故か機嫌が悪かった。城を出るときから、何かに苛立っているようで、こんな状態のときには、長年仕えてきた重臣たちですら近付かない有り様だ。
 しかし、伴を命ぜられれば、従わぬわけにはゆかない。千寿はいつものように鹿毛に跨る嘉瑛の傍らを歩いた。嘉瑛は気紛れで、唐突に馬を勢いつけて走らせたりする。その度に、千寿は全速力で駆けねばならない。嘉瑛の伴をするようになって、脚だけは早くなっただろうと、千寿は妙なところで実感していた。
 嘉瑛は狩りを好み、ほぼ数日に一度は木檜城の近くの森まで鹿毛を走らせた。その日も泉水から汲んできた水と餌を馬に与え、更に馬の身体を丁寧に洗ってやっていたところに、嘉瑛がふらりと思い出したように現れた。
 何を思ったか、嘉瑛はその日、泉水の近くに向かった。泉水のほとりには相変わらず紅海芋の花たちがひそやかに咲いている。

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