
龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~
第2章 流転~身代わりの妻~
「お館さま、私はもとより、この生命、惜しくなどござりませぬ。亡き父は落城の間際、叶う限り生きよと言い残しましたれど、罪なき生きものの生命を無益に奪う罪の片棒を担いでまで、おめおめと生き存えようとは思いませぬ」
「どこまでも、知った顔で理屈を並べ立てる奴よのう」
嘉瑛は不快感を露わに呟いた。
「良かろう、犬の分際で主にそこまで楯突くとは、良い度胸だ。それでは、その兎を助けてやっても良い。だが、ただではならぬ。兎を助ける条件として、今宵、俺は万寿姫の部屋で過ごそう。そちは兄として、それを認めると申すのだな?」
「それは―あまりに、卑怯ではございませぬか」
千寿の唇が小刻みに震える。
「妻に迎える女ゆえ、この俺が婚礼まで我慢してやっているのだ。さりながら、我が義兄上のお許しを得た上ならば、姫と臥所を共に致しても、いささかの不都合もなかろう。のう、義兄上どの?」
―お前に義兄(あに)上なぞと呼ばれる筋合いはない。
いっそ、そう断じてやれば、どれだけ胸がすくような心地がするだろう。
この男はやはり、冷酷な悪魔だ。
千寿は唇を噛むと、涙をこらえて子兎を差し出した。我が意を得たりとばかりに、嘉瑛が兎の両耳を摑んで奪い取る。ほどなく、刃の切っ先が兎の小さな体を刺し貫き、子兎は血に染まって息絶えた。
―無力な私を許してくれ。
千寿はうつむき、嗚咽を洩らすまいと歯を食いしばる。
どんなことがあっても、妹だけは嘉瑛から守らなければならない。千寿は婚礼の直前、万寿姫を奪い返し、逃亡するつもりであった。
突如として、右の頬に焼けつくような痛みを感じた。
「犬に情けも心も無用」
今度は左の頬を思いきり張られる。
千寿はよろめき、尻餅をついた。罪もなきものが死に逝く前で、何もなすすべがない自分があまりに不甲斐なく思え、千寿は受けた仕打ちよりも、その方が辛くやり切れなかった。
嘉瑛は、ひっそりと涙を流す千寿をちらりと見やると、ひらりと愛馬に跨り、振り返りもせずに駆け去っていった。
「どこまでも、知った顔で理屈を並べ立てる奴よのう」
嘉瑛は不快感を露わに呟いた。
「良かろう、犬の分際で主にそこまで楯突くとは、良い度胸だ。それでは、その兎を助けてやっても良い。だが、ただではならぬ。兎を助ける条件として、今宵、俺は万寿姫の部屋で過ごそう。そちは兄として、それを認めると申すのだな?」
「それは―あまりに、卑怯ではございませぬか」
千寿の唇が小刻みに震える。
「妻に迎える女ゆえ、この俺が婚礼まで我慢してやっているのだ。さりながら、我が義兄上のお許しを得た上ならば、姫と臥所を共に致しても、いささかの不都合もなかろう。のう、義兄上どの?」
―お前に義兄(あに)上なぞと呼ばれる筋合いはない。
いっそ、そう断じてやれば、どれだけ胸がすくような心地がするだろう。
この男はやはり、冷酷な悪魔だ。
千寿は唇を噛むと、涙をこらえて子兎を差し出した。我が意を得たりとばかりに、嘉瑛が兎の両耳を摑んで奪い取る。ほどなく、刃の切っ先が兎の小さな体を刺し貫き、子兎は血に染まって息絶えた。
―無力な私を許してくれ。
千寿はうつむき、嗚咽を洩らすまいと歯を食いしばる。
どんなことがあっても、妹だけは嘉瑛から守らなければならない。千寿は婚礼の直前、万寿姫を奪い返し、逃亡するつもりであった。
突如として、右の頬に焼けつくような痛みを感じた。
「犬に情けも心も無用」
今度は左の頬を思いきり張られる。
千寿はよろめき、尻餅をついた。罪もなきものが死に逝く前で、何もなすすべがない自分があまりに不甲斐なく思え、千寿は受けた仕打ちよりも、その方が辛くやり切れなかった。
嘉瑛は、ひっそりと涙を流す千寿をちらりと見やると、ひらりと愛馬に跨り、振り返りもせずに駆け去っていった。
