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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~

第2章 流転~身代わりの妻~

 恒吉がふっと視線を逸らした。
「万寿姫が亡くなった」
「えっ」
 咄嗟に、千寿は何かの聞き違いかと思った。
「嘘だ、恒吉どのはまた、質(たち)の悪い冗談で私をからかっているんだな」
 だが、何よりも千寿自身が知っている。恒吉がそのような馬鹿げた不吉な戯れ言など口にするはずがないということを。
「なあ、恒吉どの。お願いだ、嘘だと言ってくれ。恒吉どの!」
 千寿の声が次第に高くなる。
 そんな千寿の肩を両手で押さえ、恒吉が真顔で首を振った。
「落ち着け、若。今、ここで若までが取り乱して、どうする。―残念だが、万寿姫が亡くなったのは、本当のことだ。そのため、今、城の奥向きは大騒動の真っ最中よ」
「だが、何ゆえ、あの子が―妹が亡くなったのだ。もしや、あの男、嘉瑛か? あやつが万寿を殺したのか?」
 息せききって問う千寿を痛ましげに見つめ、恒吉は静かに首を振った。
「いや、違う。姫はお館さまに殺されたのではない。自ら生命を絶たれたのだ」
「そんな―」
 千寿は言葉を失った。
 明日中にも、ひそかにつてを頼り、妹に文を届けようと思っていたのだ。奥向きに、おろくという十六になる婢女(はしため)がいる。どういうわけか、たまたま厩の近くを通りかかった際、千寿を見て恋に落ちたらしい。
 何かといえば、用もないのに、厩の近くをうろつき、千寿に色目を使ってくる。相手の気持ちを利用するようで気は進まなかったのだけれど、おろくに甘い言葉の一つ、二つ囁いて、奥向きにいる妹姫にまで文を届けて貰う手筈を整えていたのだ。
「遅かった」
 呟いた千寿を恒吉が怪訝そうに見つめた。
 千寿は初めて、恒吉に我が身の計画を打ち明けた。
「そうか、若はそこまで考えていたのか」
 恒吉は愕いたような顔で幾度も頷いた。
「私が悪いのだ。私がもう少し早く、妹に繋ぎを取っていれば、妹は死なずに済んだものを―」
 万寿姫が嘉瑛との婚礼を苦にして自害したのは明らかであった。
「もしや、万寿を無理にあの男が我が物としようとして―」

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