
龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~
第2章 流転~身代わりの妻~
先刻、妹の好きだった白海芋の花を妹に手向けてくれたときに憶えた感謝の念など瞬時に消えてしまった。
「このようなときに、馬鹿げた戯れ言は止してくれ! 第一、私は女ではない。つまらないたわ言を耳にする気分ではないのだ」
だが、嘉瑛は千寿の言葉なぞ端から耳には入ってはおらぬ風で千寿を不躾に見つめ、うそぶいた。
「これは美しいな。万寿姫そのもの―、いや、姫以上に美しい」
千寿は嘉瑛に近付くと、手を振り上げ、その頬を思いきり張った。
「つまらない冗談は聞きたくないと言ったのが、貴様には判らないのか。木檜嘉瑛、そなたには一体、人の心というものが欠片(かけら)ほどでもあるのか? 貴様だとて、この世でただ一人の妹が亡くなった直後、そのようなたわ言を聞く気になれはすまい」
「さあて、それはどうかな。俺の兄も弟も生憎と自ら生命を絶ったわけではなく、この俺自身が手に掛けたのでな。そなたの気持ちなぞ、俺には判らぬ」
自ら血を分けた兄弟を殺した―と、しれっと言うこの男の神経はやはり、尋常ではないのだろう。
こんな男に所詮、人の情を説いたところで無駄というわけか。千寿が呆れたように見つめていると、嘉瑛が嗤った。
「さて、この俺さまを殴りつけた罰―と言いたいところだが、ここに眠るそなたの兄者に免じて、今日だけは特別に許そう」
「貴様、一体、何を―」
嘉瑛の言葉に不穏なものを感じ、千寿は問いただした。
先刻、この男は確かに〝そなたの兄者に免じて〟と言った。これは、どういうことなのだろう。
混乱する千寿に、嘉瑛は不敵な笑みを向けた。
「―判らぬか。見かけほどは聡くはないようだな。昨夜、木檜城で亡くなったのは、長戸家の姫ではない、兄の嫡男千寿丸だ」
「まさか、貴様」
千寿の顔が蒼褪めた。
その反応が愉しくてならないといった顔で、嘉瑛が声を上げて豪快に笑う。
「漸くお判りかな。流石は俺が妻にと見込んだだけはある、聡明な姫よ。楚々として美しいばかりでなく、頭の回転もすごぶる速い」
嘉瑛は低い声で嗤いながら、立ち上がった。
「このようなときに、馬鹿げた戯れ言は止してくれ! 第一、私は女ではない。つまらないたわ言を耳にする気分ではないのだ」
だが、嘉瑛は千寿の言葉なぞ端から耳には入ってはおらぬ風で千寿を不躾に見つめ、うそぶいた。
「これは美しいな。万寿姫そのもの―、いや、姫以上に美しい」
千寿は嘉瑛に近付くと、手を振り上げ、その頬を思いきり張った。
「つまらない冗談は聞きたくないと言ったのが、貴様には判らないのか。木檜嘉瑛、そなたには一体、人の心というものが欠片(かけら)ほどでもあるのか? 貴様だとて、この世でただ一人の妹が亡くなった直後、そのようなたわ言を聞く気になれはすまい」
「さあて、それはどうかな。俺の兄も弟も生憎と自ら生命を絶ったわけではなく、この俺自身が手に掛けたのでな。そなたの気持ちなぞ、俺には判らぬ」
自ら血を分けた兄弟を殺した―と、しれっと言うこの男の神経はやはり、尋常ではないのだろう。
こんな男に所詮、人の情を説いたところで無駄というわけか。千寿が呆れたように見つめていると、嘉瑛が嗤った。
「さて、この俺さまを殴りつけた罰―と言いたいところだが、ここに眠るそなたの兄者に免じて、今日だけは特別に許そう」
「貴様、一体、何を―」
嘉瑛の言葉に不穏なものを感じ、千寿は問いただした。
先刻、この男は確かに〝そなたの兄者に免じて〟と言った。これは、どういうことなのだろう。
混乱する千寿に、嘉瑛は不敵な笑みを向けた。
「―判らぬか。見かけほどは聡くはないようだな。昨夜、木檜城で亡くなったのは、長戸家の姫ではない、兄の嫡男千寿丸だ」
「まさか、貴様」
千寿の顔が蒼褪めた。
その反応が愉しくてならないといった顔で、嘉瑛が声を上げて豪快に笑う。
「漸くお判りかな。流石は俺が妻にと見込んだだけはある、聡明な姫よ。楚々として美しいばかりでなく、頭の回転もすごぶる速い」
嘉瑛は低い声で嗤いながら、立ち上がった。
