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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~

第2章 流転~身代わりの妻~

 あの夢がまさしく真実であったと物語るかのように、万寿姫の細首に包帯が巻かれている。その姿が痛々しかった。
「何もできなかった兄を許してくれ。そなたの無念は、いつか必ずやこの兄が晴らす」
 千寿は人さし指でそっと妹のすべらかな頬を撫でる。既に万寿姫の頬はゾッとするほど、冷たくなっていた。
 その冷たさに、千寿は妹が眠っているのではなく、魂がさまよい出た抜け殻なのだと思い知らされたようだった。
―父上、母上。長戸の家は、この千寿が死力を尽くして守ります。万寿を守れなかったその分まで。
―万寿よ、せめてこれからは父上や母上の許で、何の愁いも哀しみもなく過ごしておくれ。
 千寿は亡き両親とその許に旅立った妹に呟く。
 生命を失った万寿姫の顔は、純白の花よりも更に白かった。それでも、大好きだった花に囲まれ、安らいだ顔で眼を閉じる妹は十分美しかった。その儚いほどの美しさが、今の千寿には無性に哀しかった。

 その二日後、木檜の国の国主木檜嘉瑛と隣国の白鳥の国の先(さきの)国主長戸通親の娘万寿姫は盛大な華燭の典を挙げ、晴れて夫婦(めおと)となった。むろん、表向きは万寿姫と称しているのは、嘉瑛によって妹の身代わりを務めさせられた兄千寿丸である。
 自害して果てた本当の万寿姫の亡骸は、兄千寿丸のものとしてひそかに葬られた。その葬儀は密葬として行われ、仮にも一国の領主の嫡男のものとしては、あまりにも簡素すぎるものであった。
 とはいえ、白鳥の国は目下、木檜の国の属国として、嘉瑛の支配下となっている。千寿丸が前支配者の子に過ぎず、しかも敵国の囚われの身となっていたことを思えば、盛大な葬儀を営めなかったことも致し方なかった。
 また、妹万寿姫の婚儀が三日後に控えているにも拘わらず、千寿丸は自ら生命を絶ったのである。木檜氏の重臣たちの中には、主君嘉瑛に婚儀を先延ばししてはと勧める者もいたが―、嘉瑛は断固としてその意思を貫いた。
 この度、嘉瑛と婚儀を挙げた万寿姫の正体がそも誰かを知る者は木檜城には多くはない。万寿姫の死は直ちに秘せられ、厳重な箝口令が敷かれたからだ。
 秘密を知るのは、万寿姫に仕えていたごく一部の侍女、また、数人の重臣のみと限られている。

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