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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~

第1章 落城~悲運の兄妹~

姫、落ち着いてよく聞きなさい。いつかは姫にふさわしき男が姫の前に現れよう、その日まではひたすら身を隠して生き延びるのだ」
 通親が万寿姫の髪を愛おしげに撫でた。
「千寿よ、姫を―妹を、そして、この長戸の家を頼むぞ」
 千寿はよりいっそう強く唇を噛みしめる。
 父の穏やかな面には既に諦観の色が濃く滲んでいた。滅多と怒ることも感情を露わにすることもない人だが、ひとたびこうと決めたことは、最後まで貫き通す確固とした意思を持つ男なのだ。最早、千寿が何をどう言おうと、父を翻意させることは不可能だと判った。
「万寿」
 それまで親子の語らいをずっと見守っていた勝子が漸く口を開いた。
 万寿姫が勝子の方を見る。
 勝子は万寿姫の前へつっと膝をいざり進め、懐からそっとひとふりの懐剣を取り出した。
「そなたは、これをお持ちなさい」
「母上さま、これは―」
 物問いたげに見上げる娘に、勝子は頷いた。
「これは私が京の都より嫁いで参った折、私の母、つまり、そなたの祖母(ばば)さまに賜ったものじゃ。この懐剣は守り刀でもある。これよりは後、そなたの身を守ってくれよう。もしものときには、これを使いなされ」
 もしものとき―とは、即ち、何ものかによって辱められるような事態に陥った場合、その前に潔く自ら生命を絶てと暗に言っているのだ。
 だが、それは十四歳の少女にとって、いかほど酷(むご)いことだろう。
―父上も母上も、この期に及んでそのようなことを仰せになられるほどであれば、いっそのこと、万寿を共にお連れになられれば良いのに。
 千寿は思わずにはいられない。父や母と共に黄泉路に旅立てば、万寿姫は誰にその身を穢されることもない。
 その想いは、妹姫も同じだったようだ。
 万寿姫が烈しく泣きじゃくった。
「父上さま、母上さま。どうか、万寿もお連れ下さいませ! 万寿は一人では淋しうございます」
 勝子が幼児を宥めるような優しげに言った。

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