龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~
第3章 逃亡~男の怒り~
月明かり
婚礼の夜を境に、千寿の地獄の日々が始まった。嘉瑛は、千寿を人眼もはばからず寵愛した。
夜毎、寝所に嘉瑛を迎える度、千寿は厩で寝起きしていた頃を懐かしいとさえ思った。
嘉瑛の愛撫は執拗で容赦がない。朝にはぐったりとして褥から出られぬほど、烈しく責め立てられるのは珍しくはなかった。
ある夕刻、嘉瑛がいつものように千寿の許を訪れた。嘉瑛がこの時間に姿を見せるのは何も今日に限ったことではない。ふらりと思い出したように夕飯刻に現れ、千寿(表向きは正室万寿姫)の居室で差し向かいになって夕飯を食べることも再々あった。
その日、嘉瑛はいつになく上機嫌であった。いつもならば、千寿が沈んだ顔をしていようものなら、たちまちにして不機嫌になるのに、その日は一人で喋り、笑った。主人のこのような気紛れには慣れているはずの侍女たちも、こんなときはまるで不気味なものを見るような眼で嘉瑛を見ている。
というのも、このように急に上機嫌になった後は、また必ず揺り返し―つまり、烈しい癇癪の発作を起こすからだ。侍女たちは殿お気に入りの奥方にすべてを押しつけて、さっさと下がってしまった。うっかりして、嘉瑛の機嫌を損ねでもしたら、即刻首が飛ぶか無礼討ちにされてしまう。危うきには近寄らずの方が賢明というものだと皆、心得ているのだ。
千寿に酌をさせながら、嘉瑛は幾度も杯を重ねた。
嘉瑛はかなりの酒豪だ。その日も浴びるように酒を呑んでも、ほろ酔い機嫌にもなっていなかった。幾ら呑んでも機嫌が良くなればまだ救われもするが、彼の場合、呑めば呑むほど醒めるらしい。しまいには眼が座り、これまた些細なことで難癖をつけては周囲の人間を振り回す。また、酒が入ると気が高ぶるのか、女を抱こうとするのも彼の性癖であった。
案の定、その日も杯を重ねてゆく中に、嘉瑛の眼の淵は紅く染まり、顔は蝋のように白くなった。
「お万、もそっと近くに参れ」
嘉瑛は最近では千寿を〝万〟と呼ぶようになっていた。万寿という名を短く縮めたものらしく、彼はこの呼び名が随分と気に入っているようだ。
婚礼の夜を境に、千寿の地獄の日々が始まった。嘉瑛は、千寿を人眼もはばからず寵愛した。
夜毎、寝所に嘉瑛を迎える度、千寿は厩で寝起きしていた頃を懐かしいとさえ思った。
嘉瑛の愛撫は執拗で容赦がない。朝にはぐったりとして褥から出られぬほど、烈しく責め立てられるのは珍しくはなかった。
ある夕刻、嘉瑛がいつものように千寿の許を訪れた。嘉瑛がこの時間に姿を見せるのは何も今日に限ったことではない。ふらりと思い出したように夕飯刻に現れ、千寿(表向きは正室万寿姫)の居室で差し向かいになって夕飯を食べることも再々あった。
その日、嘉瑛はいつになく上機嫌であった。いつもならば、千寿が沈んだ顔をしていようものなら、たちまちにして不機嫌になるのに、その日は一人で喋り、笑った。主人のこのような気紛れには慣れているはずの侍女たちも、こんなときはまるで不気味なものを見るような眼で嘉瑛を見ている。
というのも、このように急に上機嫌になった後は、また必ず揺り返し―つまり、烈しい癇癪の発作を起こすからだ。侍女たちは殿お気に入りの奥方にすべてを押しつけて、さっさと下がってしまった。うっかりして、嘉瑛の機嫌を損ねでもしたら、即刻首が飛ぶか無礼討ちにされてしまう。危うきには近寄らずの方が賢明というものだと皆、心得ているのだ。
千寿に酌をさせながら、嘉瑛は幾度も杯を重ねた。
嘉瑛はかなりの酒豪だ。その日も浴びるように酒を呑んでも、ほろ酔い機嫌にもなっていなかった。幾ら呑んでも機嫌が良くなればまだ救われもするが、彼の場合、呑めば呑むほど醒めるらしい。しまいには眼が座り、これまた些細なことで難癖をつけては周囲の人間を振り回す。また、酒が入ると気が高ぶるのか、女を抱こうとするのも彼の性癖であった。
案の定、その日も杯を重ねてゆく中に、嘉瑛の眼の淵は紅く染まり、顔は蝋のように白くなった。
「お万、もそっと近くに参れ」
嘉瑛は最近では千寿を〝万〟と呼ぶようになっていた。万寿という名を短く縮めたものらしく、彼はこの呼び名が随分と気に入っているようだ。