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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~

第3章 逃亡~男の怒り~

鬱蒼とした樹々が続く小道を千寿は懸命に歩いていた。真夏の盛りの今、森の植物たちは緑を青々と茂らせ、むせ返るような特有の匂いを発散させている。樹齢も定かではないような老いた巨木が身を寄せ合うように立ちはだかり、隙間なく重なり合った緑の葉は昼間でもなお、眩しい陽光を遮っている。
 道とは名ばかりの石ころだらけの地面を歩き通しで、千寿は疲れ果てていた。立ち止まって頭上を振り仰ぐと、濃い緑の梢がひろがっている。自然の天蓋のお陰で、真夏の昼間というのに空気はひんやりと冷たかった。そのまま立っていると、視界が緑一色に染まってしまいそうだ。
 いつも水汲みにきていた泉水は、とうに過ぎている。ここは同じ森でもかなり奥深く分け入った場所になる。木檜城を逃れた千寿が身を隠したのは、城の近くにひろがる森であった。どうせ千寿の脚では、まともに逃げてもすぐに捕まるだろうと思い、かえって近くに身を潜めることにしたのである。
 時折、涼しい風が梢を渡り、風に乗って鳥の声が聞こえてくる。再び歩き出した千寿はふと、水音が意外に近いことに気付いた。
 耳を澄ませながら、水音目指して歩いてゆく。水音は道の左方向から聞こえていた。千寿は道を逸れ、緑の繁みをかき分けるようにして歩いていった。ほどなく、鬱蒼とした樹々が途切れ、ぽっかりと視界が開けた。砂地のような粒子の細やか
な河原の向こうに、川が流れている。
 千寿は自ずと早足になった。
 草履を脱ぐと、やわらかな砂状の河原に脚を踏み入れる。砂は太陽の熱に温められ、愕くほど熱かった。河原にある手頃な石に腰掛け、そっと清流に両脚を浸す。心地良い冷たさが、全身を生き返らせてくれるようだ。
 脚を冷やしてから、今
度は顔を洗い、両手で冷
たい水を掬って夢中で呑んだ。ひと心地ついた千寿は背負ってきた風呂敷包みを降ろし、竹の皮で包んだ握り飯を取り出す。脱出を決意してから三度の食事のご飯の半分だけは残し、ひそかに取っておいたのだ。持ってきたのは数個のお握り、これだけでできるだけ長く食いつながなければならない。
 城を出るときから、千寿は白鳥の国に帰るつもりであった。今は城もなく、嘉瑛の支配下にあり、かつて城のあった場所の近くに嘉瑛の乳母子だとかいう武将が小さな館を建て、代官として国を治めていると聞く。

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