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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~

第3章 逃亡~男の怒り~

千寿は、やすの家を出てから、ひたすら森の奥に向かって歩いた。とにかく少しでも先に進み、一刻も早く森を抜けなければならない。
 勘助が木檜城に赴き、事の次第を告げれば、嘉瑛は直ちに追っ手を差し向けるだろう。追っ手は、まず森の中をくまなく探すに違いない。そうなってからでは遅いのだ。追っ手がやって来る前に、森を抜けなければならなかった。
 だが、こんなときは焦れば焦るほど上手くゆかない。どうやら迷ったらしいと気付いたのは、やすの家を出て既に一刻以上は歩いてからのことであった。
 千寿は途方に暮れた。西に向いて歩いてゆけば出口に繋がっていると思い、ずっと西方向を目指しているつもりだったのに、どこで迷ってしまったのだろうか。
 頭上を振り仰げば、鬱蒼と茂る樹々が林立し、緑、また緑がひろがっているばかりだ。同じような形の樹、枝葉の付き方―、どこまで行っても、同じ景色ばかりが続いている。闇雲に歩き回っても、これでは、余計に迷ってしまう。
 千寿は昼過ぎまでその場所にいた。大木の根許に膝を抱えて座り込み、ひたすら刻が過ぎるのを待った。しかし、次第に夕暮れが迫ってくると、再び歩き出した。
 樹々が茂っているせいで、夏場もひんやりとして涼しい森の中ではあるが、その分、暗くなるのも早い。暗くなれば、徘徊する獣に襲われる危険が高くなる。明るい中に今夜の宿を見つけた方が良いのは判っていたけれど、このような森の中に住んでいる者がそうそういるはずもない。
 陽が完全に落ちる前、千寿は幹の下方に大きな洞(ほら)がある樹を見つけ、その洞を今宵の宿にすることに決めた。小柄な千寿ならば、身を縮めれば、一晩くらいは雨露を凌げそうだ。
 千寿は洞の中で小さな吐息をつき、両膝を抱え、その間に顔を埋めた。ここは森のかなり深い場所になるはずだ。徒に歩き回って追っ手と遭遇するような愚を犯すよりは、ここに身を潜め、追っ手が諦めて引き返すのを待つ方が賢明かもしれない。
 獲物を捕っても、火を焚くこともできない。火を焚けば、煙が上がり、すぐに追っ手に見つかるからだ。やすの家を出てから今日一日、何も食べずに歩き回ったため、空腹はひどかったが、飢えは道々取ってきた草の根や樹の実を囓って凌ぐ他なかった。

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