
龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~
第4章 天の虹~龍となった少年~
千寿にとって、与えられる刺激に反応することと、悦びとは全く別次元のものだった。ただ一刻も早くこの汚辱の時間が終わって欲しいと、いつも祈るような気持ちで男に組み敷かれていた。
だが、あの日の感覚は、明らかにいつも感じるものとは異なっていた。
快、不快と区別して考えれば、あれは確かに快に近いものだと言えるような気がする。
自分はおかしい。大嫌いな男に触れられて、それを快いと感じるなんて、どうかしている。
その翌日、千寿はずっと戸惑いを抱えながら過ごしていた。
夕刻、千寿は縁に座り、ぼんやりと庭を眺めていた。膝の上に両手で握りしめているのは、海芋の花を描いた絵である。
巻き貝を彷彿とさせる形のこの花を千寿は子どもの頃から大好きだった。清楚でありながら、凛とした誰にも譲らぬ強さを秘めている。母がこよなく愛し、妹もまた大好きだった花。
―帰りたい。
千寿の眼に涙が溢れた。
懐かしいふるさとへ、海芋の群れ咲く美しき国、白鳥の国へ帰りたい。
いや、帰れるものならば、あの時代に戻りたい。千寿は海芋の咲く庭ではしゃいで飛び跳ね、父は万寿姫を腕に抱いている。そんな和やかな光景を母が微笑んで見つめていた―あの日。
この木檜の国にも海芋の花は咲くけれど、この国で見る光景は、故郷のものとは違う。
一度溢れ出した涙は止まらない。
雫が次々に溢れ、白い頬をつたって、海芋の花の絵を濡らした。
折しも、残照が今日一日に終わりを告げようとしている。西の空の端が茜色から菫色、紺色と次々に色を変えていた。
つがいの鳥なのか、二羽の鳥が互いに寄り添い合うようにしながら、夕焼れ空を渡ってゆく。既に夜の色に染まり始めるた空に、二羽の鳥の影が黒々とした影絵のように濃く、はっきりと映じていた。
あの鳥たちは、どこに帰るのだろう。
もし、自分にも翼があれば、ここを飛び出して、白鳥の国にまで帰れるのに。
そう思うと、余計に泣けてくる。
ふいに、傍らに人の気配を憶え、千寿はハッと顔を上げた。
慌てて手のひらで涙をぬぐう。
嘉瑛が感情の窺えぬ瞳で、千寿を見下ろしていた。
だが、あの日の感覚は、明らかにいつも感じるものとは異なっていた。
快、不快と区別して考えれば、あれは確かに快に近いものだと言えるような気がする。
自分はおかしい。大嫌いな男に触れられて、それを快いと感じるなんて、どうかしている。
その翌日、千寿はずっと戸惑いを抱えながら過ごしていた。
夕刻、千寿は縁に座り、ぼんやりと庭を眺めていた。膝の上に両手で握りしめているのは、海芋の花を描いた絵である。
巻き貝を彷彿とさせる形のこの花を千寿は子どもの頃から大好きだった。清楚でありながら、凛とした誰にも譲らぬ強さを秘めている。母がこよなく愛し、妹もまた大好きだった花。
―帰りたい。
千寿の眼に涙が溢れた。
懐かしいふるさとへ、海芋の群れ咲く美しき国、白鳥の国へ帰りたい。
いや、帰れるものならば、あの時代に戻りたい。千寿は海芋の咲く庭ではしゃいで飛び跳ね、父は万寿姫を腕に抱いている。そんな和やかな光景を母が微笑んで見つめていた―あの日。
この木檜の国にも海芋の花は咲くけれど、この国で見る光景は、故郷のものとは違う。
一度溢れ出した涙は止まらない。
雫が次々に溢れ、白い頬をつたって、海芋の花の絵を濡らした。
折しも、残照が今日一日に終わりを告げようとしている。西の空の端が茜色から菫色、紺色と次々に色を変えていた。
つがいの鳥なのか、二羽の鳥が互いに寄り添い合うようにしながら、夕焼れ空を渡ってゆく。既に夜の色に染まり始めるた空に、二羽の鳥の影が黒々とした影絵のように濃く、はっきりと映じていた。
あの鳥たちは、どこに帰るのだろう。
もし、自分にも翼があれば、ここを飛び出して、白鳥の国にまで帰れるのに。
そう思うと、余計に泣けてくる。
ふいに、傍らに人の気配を憶え、千寿はハッと顔を上げた。
慌てて手のひらで涙をぬぐう。
嘉瑛が感情の窺えぬ瞳で、千寿を見下ろしていた。
