龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~
第4章 天の虹~龍となった少年~
それでも、自分はこの征服者としか呼べぬ憎い男に何かを感じ始めている。
その想いの正体は、一体、何なのか。
千寿は自分の気持ちを計りかね、持て余した。
「千寿―。先ほどの願いのことだが」
嘉瑛は千寿の泣き顔をしばらく見つめた後、突然、その場の雰囲気を変えたいかのように話を変えた。
「海芋の花の絵を俺にくれぬか」
意外な申し出に、千寿はハッと嘉瑛を見た。
「海芋の絵を―でございますか?」
「ああ、一昨日、そなたが描いていたあの絵を俺に譲って欲しい」
「承知致しました」
千寿は、男の頼みの意味を深く推し量ることもなく頷いた。
海芋の絵ならば、また描けば良い。元々、気散じに描いているだけだから、描いた絵そのものに執着があるわけではないのだ。
それきり、気づまりなほどの静寂が寝所に満ちた。
千寿は嘉瑛が不機嫌になったのかと、そっと様子を窺う。が、嘉瑛の表情は不機嫌というよりは、一心に何かを考えているように見えた。
真剣に押し黙る彼の顔は、何故だか、小さな痛みを堪(こら)えているように見えた。
更に、彼がややしばらくして洩らした短いひと言は、更に千寿を驚愕させた。
「―帰れ」
千寿が弾かれたように面を上げる。
「今―、今、何と仰せになったのでございますか?」
千寿は愕きに眼を瞠っていた。
嘉瑛がもう一度ゆっくりと繰り返す。
「そんなに帰りたければ、白鳥に帰るが良い」
「―」
千寿は男がたった今、口にしたばかりの言葉が現(うつつ)だとは思えなかった。
言葉もない千寿に、嘉瑛が淡々と言った。
「俺はもう誰の力も借りぬ。我が力で京の都に上洛してみせる。従って、最早、長戸氏の血を引く姫も必要なくなった。そなたの役目は終わったのだ」
だが、言葉そのものとは裏腹に、男の口調はどこか淋しげだった。
「殿、お言葉にはございますが、私は敵国の者、しかも城を灼かれ、両親や妹をあなたさまに奪われた身にございます。その私をむざむざ白鳥に戻せば、いずれ、あなたさまに弓引くやもしれませぬぞ」
その想いの正体は、一体、何なのか。
千寿は自分の気持ちを計りかね、持て余した。
「千寿―。先ほどの願いのことだが」
嘉瑛は千寿の泣き顔をしばらく見つめた後、突然、その場の雰囲気を変えたいかのように話を変えた。
「海芋の花の絵を俺にくれぬか」
意外な申し出に、千寿はハッと嘉瑛を見た。
「海芋の絵を―でございますか?」
「ああ、一昨日、そなたが描いていたあの絵を俺に譲って欲しい」
「承知致しました」
千寿は、男の頼みの意味を深く推し量ることもなく頷いた。
海芋の絵ならば、また描けば良い。元々、気散じに描いているだけだから、描いた絵そのものに執着があるわけではないのだ。
それきり、気づまりなほどの静寂が寝所に満ちた。
千寿は嘉瑛が不機嫌になったのかと、そっと様子を窺う。が、嘉瑛の表情は不機嫌というよりは、一心に何かを考えているように見えた。
真剣に押し黙る彼の顔は、何故だか、小さな痛みを堪(こら)えているように見えた。
更に、彼がややしばらくして洩らした短いひと言は、更に千寿を驚愕させた。
「―帰れ」
千寿が弾かれたように面を上げる。
「今―、今、何と仰せになったのでございますか?」
千寿は愕きに眼を瞠っていた。
嘉瑛がもう一度ゆっくりと繰り返す。
「そんなに帰りたければ、白鳥に帰るが良い」
「―」
千寿は男がたった今、口にしたばかりの言葉が現(うつつ)だとは思えなかった。
言葉もない千寿に、嘉瑛が淡々と言った。
「俺はもう誰の力も借りぬ。我が力で京の都に上洛してみせる。従って、最早、長戸氏の血を引く姫も必要なくなった。そなたの役目は終わったのだ」
だが、言葉そのものとは裏腹に、男の口調はどこか淋しげだった。
「殿、お言葉にはございますが、私は敵国の者、しかも城を灼かれ、両親や妹をあなたさまに奪われた身にございます。その私をむざむざ白鳥に戻せば、いずれ、あなたさまに弓引くやもしれませぬぞ」