お姫様は海に恋い焦がれる
第4章 生誕祭!うさぎ争奪戦
「あいつ……正気か?」
はるかの呆れた口調が、歌声に消えた。
サングラスを外した星野は、学ラン姿で熱唱していた。
常日頃はプロ御用達のマイクを握っている彼の利き手には、ラムネの入ったプラスチックのピンクのそれ。本人の思いつきと勢いだけで幕を開けた独占ライブは、無論スタッフの姿もなく、音響もない。
「♪みなもに揺れるお前の面影〜 仰ぐ盃 ひとり酒〜お前は今頃だんなの胸の中〜 わしは今宵もひとり酒〜お前の幻 せめて幻と寄り添わせておくれ♪」
「──……」
「…………」
「みちる」
「…………」
「訊いて良いか?」
「♪あぁ横恋慕 あぁ横恋慕 わしならお前の袖に一雫の涙も落とさない お前を片時も離さない〜♪」
「…………」
「何故、あいつは演歌を歌っているんだ?」
こぶしの回ったアイドルの歌は、見事だ。肉声のアカペラであることなど気にならない、ましてそこにたとしえない熱意を覚えるだけの歌唱力が、やはり星野にはあった。
忽ちギャラリーが星野を囲った。今をときめくアイドルが何故、玩具のマイクで歌っているか。何故、彼が演歌を熱唱しているか。誰一人そうしたこまかい疑問を抱かないようだ。
「星野くぅーん!」
「素敵!星野が駅前ライブをしてる!それも演歌!」
「あぁんっ、情熱的ぃっ」
それが狙いだったのかも知れない。
若者を狙ったJ-POPには、J-POPの持ち味がある。だが、酸いも苦いも嚙み分けた年配層を狙った演歌には、崖っぷちの劇情があるのだ。
片恋、不倫、略奪、束縛、主従、心中──…横恋慕。
星野の歌は、少なからず酸いも苦いも嚙み分けていた。
ギャラリーの中に、涙する者も出始めた。