マリア
第28章 慟哭曲
「礼音っ…何す……!!」
刺された衝撃で、首がかくん、と動いただけで、智は声さえあげなかった。
それを見た礼音は、得心したように血で汚れたナイフを智の体から抜き取り雪の上に捨て、
覆い被さるように智を抱きしめた。
そして、ぴくりとも動かない智の頬を愛おしげに撫でながら囁いた。
智、お待たせ、って。
まるで…
まるで、智がすでに死んでいることを確認したみたいに…
これ…聞いたことがある。
その昔、磔刑に処せられたキリストの死亡を確認するために、
ロンギヌスという名の兵士が己の槍をキリストの左脇腹に突き立てた、と。
その、あまりの残忍さに、
母・マリアが顔を背けている絵も描かれている。
でも…一つだけ…
敢えて言うなら一つだけ、違和感があるとするならば、
先程の礼音の行為は、
母であるマリア自身が、我が子の死を確認するために自ら我が子の肉体に刃を突き立てたかのようにも見えた。
『じゃあ、連れていくね?』
その声にハッとして顔をあげると、
その声を合図にして側に控えていた黒装束の体格のいい男が、
呆然としている俺の腕の中から智を奪い取ると、男は智の体を軽々と抱きあげた。
「ま、待って!!智を…智をどこに……!?」
『連れて行くの。智を。』
「…だから、何処に?」
『生まれ変わるの。私たち。』
二、三歩歩き出したところで礼音が少しだけ顔をこちらに向けた。
『早くしないと間に合わないから…』
「…早く、って?間に合わない、って?」
その問いに答えることなく、智を連れた彼らは再び降り出した雪の中へと消えていった。