貴女は私のお人形
第8章 だから世界の色が消えても、
一番の歌詞を終える頃、乙愛の意識は、純の想いと同化していた。
『夢合わせ』は純の言葉だ。無二の天使の想いなのに、真新しい記憶を辿って口ずさむ内、ひとときだけ、ひと握りの不安と大きな幸せを抱えた乙女の思いが、漠然と乙愛のものになる。
乙愛はこの歌の意味を知らない。知る必要はない。
ただひたすら、歌うだけだ。
幻想的な絵画の中で、得も言われぬエクスタシーの赴くまま、解き放つ。
声が、想いが、溢れ出る。
にわかに視線が乙愛を襲った。
心臓が飛び出そうになった。弾かれるように口を閉じた。
乙愛が来た道に振り向くと、里沙がいた。
シフォンのブラウスに薔薇の刺繍が入った黒いベスト、タイトなボトムを合わせた里沙は、昼間と同様、髪に薔薇と蝶を挿していた。
鬱蒼とした茂みに生える背の高い木々の間に立つ里沙は、月の光に照らされて、たとしえなく神秘的な佇まいである。
「ごめんなさい。お邪魔した?」
「いえ」
穴があれば入りたい。最悪な気分の乙愛の隣に、里沙が肩を並べた。
何故、里沙はこんなところにいるのか。
訊きたい反面、乙愛の直感がそれを制した。
乙愛は湖に目交いを逃す。里沙と並んで、夜空の光を映し出す暗い水面を暫し眺める。
「綺麗だったわ」
「え?」
「乙愛ちゃんの歌。この前のカラオケでは、一度も歌ってくれなかったでしょう?苦手なんだと思っていたのに、脳ある鷹は爪を隠すって、本当だったのね」
「買い被らないで下さい」
「神無月さんの前では、歌えなかった。とか?」
「それもありますわ。でも」
どこまでが世辞で、どこからが本心か分からない。
とても「綺麗」と評価されるものを、乙愛は歌った覚えがない。歌い重ねている素人にも及ばない。