貴女は私のお人形
第3章 貴女をあたしは知らなさすぎて、
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『乙女の避暑』が滞在している宿泊区画は、水車の回る田園よりエントランス方向の前方にあった。
清澄な水が小石を撫でる小川が、朝陽を弾いてこまやかな金銀を散りばめている。
花壇に沿って二分ほど歩くと、砂糖菓子のような薔薇が、天国の景色を描き出している。
穏やかな風が澄花を撫でて、芳しく甘い香りを運ぶ。
快晴の空に粒綿を伸ばしたような雲が這っていた。
澄花は奥へ、また奥へと進んでいく。
次第に辺りが鬱蒼とした雑木林に変わっていった。
日差しも届かないに等しい、仄暗い秘境が澄花の視界に流れ込んだ。
『これより先の進入を禁ず』
立て看板は見なかったことにして、澄花は濡れた土を踏んでゆく。
森が深まる。
従業員達の管理も、ここまで行き届いていないのかも知れない。
足場は悪く、こんな獣道を歩いて行っては、ともすれば遭難や怪我も免れられかねない。
一般に正常と区分される人間なら、誤って迷い込んでも、この辺りで引き返すだろう。ムスクの絡みつく色とりどりの花が咲き乱れる湖を越えた時点で、どこか現実離れしたここら一帯に恐れをなして、元来た道へ引き返すはずだ。
夏なのに寒気さえする。
やがて開けた土地に出た。
一面に白い花が咲いていた。
甘ったるくも水臭くもある、さしずめ黄泉への入り口を彷彿とする匂いが、澄花を誘う。
底なしの沼が広がっていた。
元はフェアリーサークルの跡地だったという噂があるこの沼を、ネットワークに明るい澄花は知っている。ここに住む妖精は五十年に一度チェンジリングを仕掛けるだの、気に入った綺麗な娘をさらってきては仲間に入れて楽しんでいるだの、いわゆる都市伝説がつきまとう沼だ。
沼は濁りきっているのに、神秘的な艶を浮かべていた。