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貞勧

第1章 貞勧

鶴松と別れてからお吉は再び芸妓となって三島の金本楼に住み込みで働いた。

三島でのお吉はたいそう評判がよく、政財界の大物たちもこぞってお吉に会いにやってきた。
そんな中、お吉は悲しい知らせを聞く。

明治11年、ハリスがアメリカで死んだ。
お吉はハリスとの幸せに過ごした想い出を辿るように再び下田に戻った。38歳である。

明治15年、42歳になったお吉は下田に安直楼という小料理屋を開いた。
安直楼は連日大勢の客で賑わう人気であったが、昔からお吉を知る心ない人々は唐人だラシャメンだと再びお吉を罵った。

唐人の料理なんか食べたら病気になって死んでしまうなどの悪評を流し、あげくの果てには店につけ火の騒ぎまであって安直楼はわずか2年で店を閉めることになる。

生きる希望をなくしたお吉は毎日酒を飲んだくれる日々を送る。その酒乱の末にお吉は脳梗塞を患い、半身不随になってしまった。

そんなお吉を見舞う客があった。あの伊佐である。伊佐は新政府の役人に出世していた。

「いたいけなおなごを犠牲にして手に入れたものがそれか」
お吉は刺すような目線で伊佐を睨む。

お吉の言うとおりである。ただ好きな人と一緒にいたいというお吉の夢を壊して犠牲にしておいて、人々がやれ唐人だラシャメンだと罵ることから守ってもやれなんだ。

自分が見に着けている高級なスーツも新政府の役人といい地位も伊佐には醜いものに見えていた。すべては今目の前で憐れな姿を見せているお吉の犠牲のうえに手にしたものではないか。

こんな風に身を持ち崩してなおもお吉は気高く美しい。一番の芸妓と言われたお吉はまだそこにいる。

「すまなかった、申し訳なかった」

改めて自分のしでかした罪の大きさを痛感した伊佐は高級なスーツが汚れてくしゃくしゃになるのも構わずに土下座をし、涙ながらに詫びた。

チリリ~ン。
鶴松と共にお吉にハリスへの奉公に行くように迫ったあの時と同じように風鈴の音が響いている。

「お吉さえよければ儂が面倒を見てしかるべき暮らしをしてもらいたい」

伊佐はお吉に金銭等の援助をして病院での治療も受けて人並み以上の暮らしができるよう手助けしたいと申し出た。

「おふざけでないよ。己の罪を金で帳消しにしようとする魂胆が見え見えじゃないか。お前の施しなどいらぬ。一生罪を背負って生きていくんだな」

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