氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第5章 彷徨(さまよ)う二つの心
「光栄だな。一刻たりとも共にいたくない、逃げ出したいと願う男の名前を憶えていて頂くとは」
瞳の底に揺らめく昏い焔。
低く地を這うような、凄みのある声。
肩頬をかすかに歪める皮肉げな表情。
そのどれもがサヨンにとっては怖ろしくてたまらない。
「いやっ、来ないで」
サヨンは烈しく首を振った。身体が瘧にかかったようにおののいている。
「お願い、後生だから、このまま見逃して」
サヨンは涙ながらに言った。
「俺がみすみすお前を逃すと思っているのか?」
トンジュがゆっくりと間合いを詰めてくる。サヨンは恐怖に震えながら後ずさった。
「お願い、このまま行かせて。私は生きてこの森から出られないかもしれない。私が死ねば、あなたがここにいるのを洩らすことはあり得ないわ」
「いや、お前は必ず生きてこの森を出るだろう。何百年もの間、この森はよそ者がけして脚を踏み入れてはならない禁忌とされていた。俺たち村の者しか抜け道を知らない特別な場所だったんだ。その森の忌むべき秘密をお前は一瞬で見破ったのだ。ならば、森を抜け出ることくらいは造作もないはずだ」
トンジュが確信に満ちた口ぶりで言った。
「あんたはたいした女だよ、お嬢さま。あんたを世間知らずの甘ちゃんだと思い込んでいたのは、俺の大きな誤算だった。女にしとくのは惜しいほどだな」
「さあ、追いかけっこはここまでだ。観念して戻るんだ」
トンジュの声が間近に聞こえ、サヨンは絶望に眼の前が真っ白になった。
瞳の底に揺らめく昏い焔。
低く地を這うような、凄みのある声。
肩頬をかすかに歪める皮肉げな表情。
そのどれもがサヨンにとっては怖ろしくてたまらない。
「いやっ、来ないで」
サヨンは烈しく首を振った。身体が瘧にかかったようにおののいている。
「お願い、後生だから、このまま見逃して」
サヨンは涙ながらに言った。
「俺がみすみすお前を逃すと思っているのか?」
トンジュがゆっくりと間合いを詰めてくる。サヨンは恐怖に震えながら後ずさった。
「お願い、このまま行かせて。私は生きてこの森から出られないかもしれない。私が死ねば、あなたがここにいるのを洩らすことはあり得ないわ」
「いや、お前は必ず生きてこの森を出るだろう。何百年もの間、この森はよそ者がけして脚を踏み入れてはならない禁忌とされていた。俺たち村の者しか抜け道を知らない特別な場所だったんだ。その森の忌むべき秘密をお前は一瞬で見破ったのだ。ならば、森を抜け出ることくらいは造作もないはずだ」
トンジュが確信に満ちた口ぶりで言った。
「あんたはたいした女だよ、お嬢さま。あんたを世間知らずの甘ちゃんだと思い込んでいたのは、俺の大きな誤算だった。女にしとくのは惜しいほどだな」
「さあ、追いかけっこはここまでだ。観念して戻るんだ」
トンジュの声が間近に聞こえ、サヨンは絶望に眼の前が真っ白になった。