
氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第1章 始まりの夜
サヨンと逃げなければ、トンジュは一生涯、ここで平穏に生きられる。たとえ奴婢の身分から抜け出せなくても、暮らしの保証はあるのだ。
「言ったでしょう? 俺は何もお嬢さまのためだけに逃げるんじゃない。ここから出たいと思っているのは、お嬢さまだけではないんです。俺自身、もうずっと以前から自分の運命を変えてみたかった。旦那さまは確かによくして下さるけれど、この屋敷にいる限り、俺はずっと隷民のままです。けど、飛び出してしまえば、もしかしたら、今までとは違う自分に変われるかもしれない。俺にとっては、これが奴隷ではなく、良民として生まれ変わることができるかもしれない最後の機会なんですよ」
「生まれ変わる―」
サヨンは無意識の中に、トンジュの台詞を繰り返す。
「そうです、生まれ変わるんです」
トンジュの力強いまなざしがサヨンの心を鋭く射貫いた。
「行きましょう。この手を取ったことをお嬢さまに後悔はさせません」
頼もしい言葉だった。
トンジュの大きな手のひらに小さな手を重ねる。トンジュがサヨンの手をそっと握りしめてきた。
トンジュの手は温かかった。トクパルのようにねっとりと汗ばんでもおらず清潔で、ほんのりとした温もりが心地よい。
部屋に戻ってから当座の衣服を持ってくると言うと、トンジュは真顔で首を振った。
「このまま行った方が良い。屋敷に戻れば、それだけ誰かに見つかる可能性が大きくなります。お嬢さまにはご不満があるかもしれませんが、着替えくらいは俺が何とか古着を調達しますから」
そのときだった。
屋敷の方から、若い女中の呼び声が響いてきた。
「お嬢さま、サヨンさま~」
サヨン付きの侍女ミヨンの声である。サヨンが部屋を出てから、もうかれこれ四半刻にはなる。一向に戻らないサヨンを案じて探しているに違いなかった。
ミヨン、ああ、ミヨン。
サヨンは自分が残してゆく人々の嘆きを改めて思った。
「言ったでしょう? 俺は何もお嬢さまのためだけに逃げるんじゃない。ここから出たいと思っているのは、お嬢さまだけではないんです。俺自身、もうずっと以前から自分の運命を変えてみたかった。旦那さまは確かによくして下さるけれど、この屋敷にいる限り、俺はずっと隷民のままです。けど、飛び出してしまえば、もしかしたら、今までとは違う自分に変われるかもしれない。俺にとっては、これが奴隷ではなく、良民として生まれ変わることができるかもしれない最後の機会なんですよ」
「生まれ変わる―」
サヨンは無意識の中に、トンジュの台詞を繰り返す。
「そうです、生まれ変わるんです」
トンジュの力強いまなざしがサヨンの心を鋭く射貫いた。
「行きましょう。この手を取ったことをお嬢さまに後悔はさせません」
頼もしい言葉だった。
トンジュの大きな手のひらに小さな手を重ねる。トンジュがサヨンの手をそっと握りしめてきた。
トンジュの手は温かかった。トクパルのようにねっとりと汗ばんでもおらず清潔で、ほんのりとした温もりが心地よい。
部屋に戻ってから当座の衣服を持ってくると言うと、トンジュは真顔で首を振った。
「このまま行った方が良い。屋敷に戻れば、それだけ誰かに見つかる可能性が大きくなります。お嬢さまにはご不満があるかもしれませんが、着替えくらいは俺が何とか古着を調達しますから」
そのときだった。
屋敷の方から、若い女中の呼び声が響いてきた。
「お嬢さま、サヨンさま~」
サヨン付きの侍女ミヨンの声である。サヨンが部屋を出てから、もうかれこれ四半刻にはなる。一向に戻らないサヨンを案じて探しているに違いなかった。
ミヨン、ああ、ミヨン。
サヨンは自分が残してゆく人々の嘆きを改めて思った。
