
氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第5章 彷徨(さまよ)う二つの心
あの時、見知らぬ男に少し触れられただけでも、嫌で堪らなかった。
だが、どうだろう。トンジュに先刻、額を触れられても一欠片(ひとかけら)の嫌悪感も感じなかった。河原で抱きしめられたときも平気だったし、怒り狂ったトンジュを宥めるためとはいえ、自分からトンジュに抱きつきさえしたのだ。
もしかしたら、自分がトンジュをあれほど拒んだのは〝女になる〟ことへの本能的な恐怖があったから? 母親のいないサヨンは恋には奥手で、男女のことに関する知識は皆無だった。純真無垢といえば聞こえは良いが、要するに無知だったのだ。
トンジュに抱かれた時、彼が口にしていた話の半分も理解できなかった。徹底的に疎いサヨンにとって、初めての体験、男を受け容れるという行為は途轍もなく怖ろしいものに思えてならなかった。具体的なことを知らないがために、恐怖はいや増した。
サヨンが彼を拒み続けたことは、多分、彼への想いとは無関係といって良いのだろう。
―もしかして、私は彼を好きなの?
突如として目覚めた想いは、しかしながら、急に湧いてきたものではなく、かなり前から芽生えていたのかもしれない。第一、このことはトンジュも言っていたけれど、大嫌いな男ならば、共に逃げようと言われても絶対に逃げたりしなかった。
逃げようと手を差し出されてトンジュの手を取った時、胸が時めき、彼の手が触れた箇所から得体の知れない妖しい感覚が駆け抜けた。今から思えば、あの未知の感覚こそが男に抱かれたときに女が感じる〝快さ〟に近いものだったのだ。
あの頃から、自分はトンジュに少しずつ惹かれていたのかもしれなかった。だが、今となっては、どうしようもないように思える。
サヨンは〝好きだ〟と繰り返す彼の想いを受け取らなかった。身体を幾度も重ねた後でさえ、サヨンの方から背を向けたのだ。
―考えてみたら、俺が大行首さまに難しい文字を教えて頂いたのも、サヨンにふさわしい男になりたいと思ったからだろうな。でも、俺の見た夢は結局、分不相応だった。幾ら立派になろうとしても、住む世界は変えられない。近頃、そんなことを考えるようになったよ。
今朝の河原からの帰り道、トンジュが洩らした言葉が何より今の彼の気持ち―心境の変化を物語っている。
だが、どうだろう。トンジュに先刻、額を触れられても一欠片(ひとかけら)の嫌悪感も感じなかった。河原で抱きしめられたときも平気だったし、怒り狂ったトンジュを宥めるためとはいえ、自分からトンジュに抱きつきさえしたのだ。
もしかしたら、自分がトンジュをあれほど拒んだのは〝女になる〟ことへの本能的な恐怖があったから? 母親のいないサヨンは恋には奥手で、男女のことに関する知識は皆無だった。純真無垢といえば聞こえは良いが、要するに無知だったのだ。
トンジュに抱かれた時、彼が口にしていた話の半分も理解できなかった。徹底的に疎いサヨンにとって、初めての体験、男を受け容れるという行為は途轍もなく怖ろしいものに思えてならなかった。具体的なことを知らないがために、恐怖はいや増した。
サヨンが彼を拒み続けたことは、多分、彼への想いとは無関係といって良いのだろう。
―もしかして、私は彼を好きなの?
突如として目覚めた想いは、しかしながら、急に湧いてきたものではなく、かなり前から芽生えていたのかもしれない。第一、このことはトンジュも言っていたけれど、大嫌いな男ならば、共に逃げようと言われても絶対に逃げたりしなかった。
逃げようと手を差し出されてトンジュの手を取った時、胸が時めき、彼の手が触れた箇所から得体の知れない妖しい感覚が駆け抜けた。今から思えば、あの未知の感覚こそが男に抱かれたときに女が感じる〝快さ〟に近いものだったのだ。
あの頃から、自分はトンジュに少しずつ惹かれていたのかもしれなかった。だが、今となっては、どうしようもないように思える。
サヨンは〝好きだ〟と繰り返す彼の想いを受け取らなかった。身体を幾度も重ねた後でさえ、サヨンの方から背を向けたのだ。
―考えてみたら、俺が大行首さまに難しい文字を教えて頂いたのも、サヨンにふさわしい男になりたいと思ったからだろうな。でも、俺の見た夢は結局、分不相応だった。幾ら立派になろうとしても、住む世界は変えられない。近頃、そんなことを考えるようになったよ。
今朝の河原からの帰り道、トンジュが洩らした言葉が何より今の彼の気持ち―心境の変化を物語っている。
