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氷華~恋は駆け落ちから始まって~

第5章 彷徨(さまよ)う二つの心

「流石は清勇だ。これからも頼りにしておるぞ。私が王位についた暁は、都に呼んで領(ヨン)議(イ)政(ジヨン)に引き立ててやろう」
「畏れ多いことにございます」
「それよりも大君さま、一つだけ懸念がございます」
「うむ、懸念とは」
「兵士たちの履く草鞋が足りないのです」
「草鞋とな」
「はい、武器などは少しずつ集めましたので、早くに必要数を確保できたのですが、春先にはこの地方はまだ大雪が降ることがあり、履き替え用として草鞋は集められる限りたくさんの数を確保しておいた方がよろしいでしょう。とすれば、現在はまだ半分ほどしか集まっておりません」
「なに、半分だと? 一体、どうするのだ?」
「何せ急に予定を早めねばならなくなりましたので」
 物陰ですべてのやりとりを聞いたサヨンは、小卓をそっと廊下に置いた。話はまだ続いているようだが、これ以上ここにいて、危険に身をさらす必要はない。
 こんな怖ろしい話を聞いた後、あの密談の場に酒肴を届けるなどできるはずがない。だがと、サヨンは考えた。これは、もしかしたら、自分とトンジュにとって千載一遇の好機になり得るかもしれない。
 廊下をもう少し先に進むと、いきなり吹き抜けになった。しめたと小走りに走ると、やがて建物の正面まで来た。庭に面しており、短い階(きざはし)がついている。つまり、ここから建物に出入りするのだ。
 外から見て判ったことだが、この建物は母屋ではなく、庭を隔てて建てられた独立した建物―離れのようなものだ。だからこそ、密談に用いたり、攫ってきた娘を監禁しておくのには格好の場所なのだろう。
 勇民の妻の誕生祝いの祝宴は母屋で行われているに違いない。ここから母屋まではかなりの距離があるため、賑わいは離れまでは伝わってこない。
 サヨンは階を駆け下り、庭を横切った。むろん、極力、足音を立てないように注意を払った。幸いにも広大な庭はひっそりと静まり返り、まだ春浅い夜中に庭に出ようという酔狂な客はいないようだった。
 闇に沈む庭を一人で走りながら、サヨンは二ヶ月前にも似たような経験をしたのを思い出していた。コ氏の屋敷から脱出したときも、こうして庭を走った―。でも、あの夜は満月も出ていたし、何よりトンジュがついていてくれた。

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