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氷華~恋は駆け落ちから始まって~

第6章 運命を賭ける瞬間(とき)

「あの時、お前さんが儂の眼の前にただ金を積むことだけを主張したなら、儂はけしてこ町中の草鞋を集めようとは思わなかった。これしきのこと、お安いご用だ。その代わり、約束は必ず守って貰うぞ」
 主人の視線がサヨンからトンジュに移った。
「そっちが例の薬草の知識とやらを持っている人かい? 何でも名医も匙を投げた重病人を助けたとかいう人だね?」
トンジュが眼を剥いてサヨンを見る。
―おい、適当なことを言うんじゃないぞ。口から出任せを言って、病人が俺の手に負えなかったら、どうするつもりだ。
 トンジュの眼は明らかに彼の焦りを示していた。サヨンは彼のきつい視線を無視して、にこやかに笑った。
「ありがとうございます。ご主人のご厚意に報いられるよう、全力を尽くします。もちろん、良人もそのつもりでおりますので、ご安心下さい。ねえ、あなた(ヨボ)?」
 サヨンが目配せをしながらトンジュを見る。トンジュは最早、何も言えず、ただ〝うう〟とも〝ああ〟とも知れぬ応えを返しただけだった。
 この後で、トンジュは早速、主人の母親を診るために病室へ案内された。ちなみに、トンジュの診立てでは、履き物屋の老母は、腎―つまり腎臓に病因があるとのことだった。それを裏付けるかのように、トンジュが診た老母の身体は全体的にむくみが目立ち、殊に脚のむくみは酷かった。
 トンジュは、むくみを取る薬、尿の出をよくする薬、更に病で弱った身体に体力をつけ、滋養を与える薬の三種類を処方して与えた。後に、この老婦人は嘘のように回復し、身体中の浮腫も取れ、寝たきりだったのが起きて歩けるようになるまで回復した。
母親が数年ぶりに床から出て歩いた日、履き物屋の主人は涙を流して拝むように手をすり合わせた―。

 夜になった。陽がとっぷり暮れた頃、サヨンは今度は沈清勇の屋敷に向かった。三日前の夜、二人は確かに〝三日後に決行する〟と言っていた。ならば、決行は明日、義承大君はその日に備えて今夜も清勇の屋敷にいる可能性が高いと読んでいた。
 もとより、門から入っていって取り次ぎを頼んでも、逢えるはずはないと判っている。

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