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氷華~恋は駆け落ちから始まって~

第6章 運命を賭ける瞬間(とき)

 サヨンはトンジュには門前の目立たない場所に待機して貰い、単身、屋敷に乗り込んだ。
 塀を越えて敷地内に侵入し、広い庭を慎重に横切って例の離れに向かう。三日前の夜、サヨンが監禁されていた場所でもあり、沈清勇と義承大君が密談を重ねていた場所でもあった。
 自分の身の丈よりもはるかに高い塀を乗り越えながら、サヨンはしみじみと思った、自分はたった二ヶ月余りで何と変わったのだろう。トンジュと逃げるために屋敷を出るときは、これよりも低い塀ですら一人では乗り越えられなかったのに。
 確かに彼女は変わった。もう、世間知らずで一人では何もできなかった怯えてばかりの少女いない。いや、元々、彼女の中に強くて運命に敢然と立ち向かってゆく、したかなもう一人のサヨンが潜んでいたのだ。そして、彼女から新たな可能性を引き出したのは他ならぬトンジュであった。
 淡い闇の中で、離れが闇よりも更に濃く黒い影となって背景に溶け込んでいる。ここからでは明かりがついているのかは判別できず、サヨンはそっと正面の階から中へと身をすべらせた。
 記憶を辿りながら長い廊下をひた歩いていると、やがて見憶えのある室の前に至った。思ったとおり、室からは淡い明かりが洩れている。
 決行の前夜ともなれば、屋敷や庭内にも用心のために兵士がひそかに配備されているかと危ぶんでいたのだが、幸いにも兵士らしい姿は見当たらなかった。誰にも知られずに隠密裡に戦に必要な人員を確保するのは困難なことだ。だとすれば、屋敷の警備に割く兵士の余裕などないのかもしれない。
 三日前、サヨンは義承大君の顔を見ることはなかった。だが、これから対面することになる。たかたが十九歳の小娘が国王の弟と堂々と渡り合えるだろうか。
 サヨンの胸の鼓動が大きくなった。心ノ臓が口から飛び出るのではないかというほど烈しく打っている。
「お話し中、失礼いたします」
 扉を開け、すべるように身を躍り込ませたサヨンを、義承大君と清勇は呆気に取られて見つめた。
 サヨンは、両手を組み合わせ眼の高さに掲げて立った。それから座って頭を下げる。更にもう一度立ち上がり、深々と礼をした。目上の者に対する最上級の敬意を表す拝礼である。

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