
氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第1章 始まりの夜
「トンジュや。お前、この娘をどこから攫ってきたんだい? この娘は品も良いし、着てるものだって、あたしら庶民には手の届かない上物ばかりだ。お前のその丁寧な口の利き方からして、まさか、この娘―」
その不安げな表情から、女将が心底からトンジュの身を案じているのが伝わってくる。
「あのなぁ、当の本人のいる前で、攫ってきただなんて物騒な言い方は止めてくれよ」
トンジュがむくれて見せる。
女将はますます渋面になった。
「あんた、まさか本当にご主人さまのお嬢さんを攫ってきたのかえ?」
女将が殆ど悲鳴のような声で叫んだ。
「そうだと言ったら、どうするんだ?」
トンジュがふて腐れて言い返す。
「馬鹿なことはお止め。今なら、まだ間に合う。このお嬢さまを連れてお屋敷に帰るんだ。いや、お前が行くのは近くまでで良い。お嬢さんが無事に門に入ったのを見届けたら、お前はそっと誰にも判らないように引き返すんだよ」
「もう遅いさ」
きっぱりと言い切ったトンジュに、女将はそれこそ息子の悪行を窘める母親のような口調で諄々と諭す。
「お前は自分が何をしでかしてるか判っちゃいないのさ。良いかえ、トンジュや、お前のしてることは正真正銘、立派な犯罪なんだよ? 世間のことも男女のことも何も知らない初(うぶ)なお嬢さんをうまく言いくるめて連れ出すなんざ、単なるかどかわかしじゃないか。それこそ、このお嬢さんがあんたと相惚れになって納得ずくで家を出たとか、お嬢さんが端(はな)からとんでもない男たらしのあばずれだったとかっていうんなら、話はまた別だけどね」
「随分な言い様なのは、俺じゃなくて、そっちの方じゃないのか」
トンジュはぶっきらぼうに言い、肩をすくめた。
「あたしは、あんたのことが心配で堪らないんだよ。もし二人して、とっ捕まっちまったら、トンジュ、あんたは自分がどうなるか判ってるのかい? 今はいっときの激情で前後の見境や分別ってもんをなくしちまってるから、あんたには現実が見えなくなってるのさ」
トンジュは仏頂面で黙り込んでいる。
女将は焦れたように、今度はサヨンにまくしたてた。
その不安げな表情から、女将が心底からトンジュの身を案じているのが伝わってくる。
「あのなぁ、当の本人のいる前で、攫ってきただなんて物騒な言い方は止めてくれよ」
トンジュがむくれて見せる。
女将はますます渋面になった。
「あんた、まさか本当にご主人さまのお嬢さんを攫ってきたのかえ?」
女将が殆ど悲鳴のような声で叫んだ。
「そうだと言ったら、どうするんだ?」
トンジュがふて腐れて言い返す。
「馬鹿なことはお止め。今なら、まだ間に合う。このお嬢さまを連れてお屋敷に帰るんだ。いや、お前が行くのは近くまでで良い。お嬢さんが無事に門に入ったのを見届けたら、お前はそっと誰にも判らないように引き返すんだよ」
「もう遅いさ」
きっぱりと言い切ったトンジュに、女将はそれこそ息子の悪行を窘める母親のような口調で諄々と諭す。
「お前は自分が何をしでかしてるか判っちゃいないのさ。良いかえ、トンジュや、お前のしてることは正真正銘、立派な犯罪なんだよ? 世間のことも男女のことも何も知らない初(うぶ)なお嬢さんをうまく言いくるめて連れ出すなんざ、単なるかどかわかしじゃないか。それこそ、このお嬢さんがあんたと相惚れになって納得ずくで家を出たとか、お嬢さんが端(はな)からとんでもない男たらしのあばずれだったとかっていうんなら、話はまた別だけどね」
「随分な言い様なのは、俺じゃなくて、そっちの方じゃないのか」
トンジュはぶっきらぼうに言い、肩をすくめた。
「あたしは、あんたのことが心配で堪らないんだよ。もし二人して、とっ捕まっちまったら、トンジュ、あんたは自分がどうなるか判ってるのかい? 今はいっときの激情で前後の見境や分別ってもんをなくしちまってるから、あんたには現実が見えなくなってるのさ」
トンジュは仏頂面で黙り込んでいる。
女将は焦れたように、今度はサヨンにまくしたてた。
