
氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第1章 始まりの夜
「お前はそこまでこのお嬢さんに惚れてるのかえ」
トンジュが自分に惚れている?
サヨンは予期せぬ展開に言葉を失った。
眼を瞠ったサヨンを見て、トンジュが珍しく慌てたように言った。
「余計なことを言うなよ。本当に、おばさんは昔からお喋りだな。俺の口が悪いのがガキの時分から変わらないのと大差ないぜ」
「それで、どうするのさ」
どうやら、女将は切り替えの速い質らしい。いや、生き馬の目を抜くこのような世界では、終わった話よりもこれから先の身の処し方を考える方が理にかなっているのだろう。さもなければ、厳しいこの世では、すぐに荒波に揉まれて沈んでしまう。
やはり、サヨンとは生きてきた世界が違うのだ。サヨンは生まれてからこのかた十九年間、明日の暮らし、いや、その日に食べるものや住む場所について心配したことなどなかった。望むものはすべて与えられ、ありとあらゆるものが周囲に満ち溢れていた。
そして、それが当たり前だと信じて疑っていなかった。今から思えば、何と贅沢で奢っていたことか!
「この娘を連れてゆくのなら、それ相応の覚悟は必要だよ」
「そんなことは最初から判ってるさ」
さてと、と、トンジュがおもむろに立ち上がった。
「お嬢さま、できれば今夜はここでゆっくりと寝ませてあげたいが、そういうわけにもゆきません。追っ手が放たれることを考えれば、今夜の中に可能な限り距離を稼いでおかなければならないので」
或いは既に追っ手は放たれ、自分たちの後を血眼になって追っているかもしれない。いや、むしろ、その可能性の方がはるかに高かった。
怜悧で計算高い父は、手引きして屋敷を逃れさせたのがトンジュだとすぐに感づくだろう。
トンジュは女将に頼んで、サヨンの纏っている衣服と古い衣服を取り替えた。
「まあ、あつらえたように大きさがぴったりで良かった」
古着に着替えたサヨンを見て、女将が溜息混じりに呟く。
トンジュが自分に惚れている?
サヨンは予期せぬ展開に言葉を失った。
眼を瞠ったサヨンを見て、トンジュが珍しく慌てたように言った。
「余計なことを言うなよ。本当に、おばさんは昔からお喋りだな。俺の口が悪いのがガキの時分から変わらないのと大差ないぜ」
「それで、どうするのさ」
どうやら、女将は切り替えの速い質らしい。いや、生き馬の目を抜くこのような世界では、終わった話よりもこれから先の身の処し方を考える方が理にかなっているのだろう。さもなければ、厳しいこの世では、すぐに荒波に揉まれて沈んでしまう。
やはり、サヨンとは生きてきた世界が違うのだ。サヨンは生まれてからこのかた十九年間、明日の暮らし、いや、その日に食べるものや住む場所について心配したことなどなかった。望むものはすべて与えられ、ありとあらゆるものが周囲に満ち溢れていた。
そして、それが当たり前だと信じて疑っていなかった。今から思えば、何と贅沢で奢っていたことか!
「この娘を連れてゆくのなら、それ相応の覚悟は必要だよ」
「そんなことは最初から判ってるさ」
さてと、と、トンジュがおもむろに立ち上がった。
「お嬢さま、できれば今夜はここでゆっくりと寝ませてあげたいが、そういうわけにもゆきません。追っ手が放たれることを考えれば、今夜の中に可能な限り距離を稼いでおかなければならないので」
或いは既に追っ手は放たれ、自分たちの後を血眼になって追っているかもしれない。いや、むしろ、その可能性の方がはるかに高かった。
怜悧で計算高い父は、手引きして屋敷を逃れさせたのがトンジュだとすぐに感づくだろう。
トンジュは女将に頼んで、サヨンの纏っている衣服と古い衣服を取り替えた。
「まあ、あつらえたように大きさがぴったりで良かった」
古着に着替えたサヨンを見て、女将が溜息混じりに呟く。
