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氷華~恋は駆け落ちから始まって~

第2章 氷の花

☆第二章 氷の花 ☆
 都を出た時、既に東の空は白々と朝の色に染まり始めていた。周囲はまだ夜の名残をそこここに残していて、薄蒼い帳の底に沈んでいる。わずかに空の端が茜色に染まり始めているのが、夜明けがほど近いことを告げていた。
 昼ならば大勢の人通りや露天商の呼び声がかしましい町の大通りを抜ければ、周囲は人家もまばらな町外れの風景に変わる。
 更に進んでゆくと、民家らしいものは一切見られなくなり、人の姿どころか犬猫の類すら見かけることはなくなった。道も整備された平坦な比較的幅のあるものから、荷車一台がやっと通り抜けられるほどの細くて荒々しい砂利道になる。
 都を出た頃になって、トンジュは漸くサヨンの手を放した。サヨンは無意識の中に握りしめられていた手首をさすった。トンジュに判らないようにそっとチョゴリの袖を捲ると、細い手首にはうっすらと紅い輪が浮かび上がっている。
 あまりに強い力で握られていたので、その部分だけが鬱血しているのだった。
 自分はこれから一体、どうなってしまうのだろう。
 思わず涙が溢れそうになった時、少し先を歩いていたトンジュが振り向いた。
「お嬢さま、脚は痛みませんか?」
 その表情も声も静謐そのもので、彼が何を考えているのかまでは判らない。
 サヨンは、かすかに首を振った。
 脚や手首の痛みよりも、今は心の痛みの方が勝っていた。今なら、この得体の知れない男から逃れるすべもあるかもしれない。が、都の中ならまだしも、こんなろくに人も住んでいないような場所で一人逃げたとしても、なすすべはなかった。
 今は、この男についてゆくしか生きる道はないのだ。そのことがサヨンの心を余計に沈ませていた。
 最後に小さな村を通り過ぎてからでも、一刻はゆうに経過している。酒場でわずかな休憩を取ったのを除けば、数時間以上に渡って歩き続けてきた勘定になった。
 トンジュはサヨンの言葉を信じてはいないようだった。脚は痛まないという意思表示をしたのに、さっと近づいてくると、しゃがみ込んでチマの裾を捲ろうとする。
「止めて!」
 自分でも愕くほどの大きな声が出た。

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