
氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第2章 氷の花
「人がこの世に生まれてくるのには、必ず何らかの意味がある、つまり、何かの役目を果たすために生まれてくるのだと幼い頃から繰り返し言い聞かされてきたわ」
「いかにも旦那さまらしいお言葉ですね」
トンジュが神妙に頷いたので、サヨンはふと興味を引かれた。父はひそかにトンジュという男を気にかけ評価していたが、果たして、トンジュの方はどうなのだろう。
「あなたは父をどう思う?」
サヨンの意に反して、トンジュはすぐには応えなかった。かなりの刻を経て、彼は一つ一つの言葉を吟味するようにゆっくりと喋り始めた。
「素晴らしい人だと尊敬しています。何て言ったら良いのか、知力、行動力、計算力をお持ちで、しかも人を惹きつける人望までお持ちだ。商人として漢陽、いえ、朝鮮中を探しても、あれほどのお方はおられないでしょう。同じ男として憧れますよ。もっとも、俺なんて、足下にも寄れないですけど」
「あなたが父をそんな風に見ているとは思わなかったわ」
それは素直な気持ちから発した言葉であった。やはり、娘として父を褒められて悪い気はしない。
トンジュは笑んだ。
「俺が読み書きができるのは、大行首さまのお陰ですから」
「トンジュは読み書きができるのね?」
これも愕きだ。下働きの下男で読み書きのできる者は珍しい。中にはできる者がいないわけではないが、それは当人に向学心があって独学で習ったりした場合に限る。
そんな者であっても、簡単な文章なら読めるが、書くことはできないといった程度で、所詮は賤民の会得できる知識といえば、その範囲が限界だったのだ。
「大行首さまがおん自ら教えて下さったんですよ」
トンジュが懐かしむような口調で語った。
彼がこの屋敷に来て、半年ほどを経たある日のこと。七歳の少年は朝から晩まで雑用にこき使われていたが、ある日、水くみのために井戸端にいたときのことだ。
言われたようにすべての水瓶を一杯にした後、トンジュは側に転がっていた木ぎれで地面に字を書いていた。
もちろん習ったことなどないから、見よう見真似だ。数日前、この屋敷の主である大行首さまの居室の掃除をした際、偶然、文机の上に置かれている書物に眼をとめたのだ。
「いかにも旦那さまらしいお言葉ですね」
トンジュが神妙に頷いたので、サヨンはふと興味を引かれた。父はひそかにトンジュという男を気にかけ評価していたが、果たして、トンジュの方はどうなのだろう。
「あなたは父をどう思う?」
サヨンの意に反して、トンジュはすぐには応えなかった。かなりの刻を経て、彼は一つ一つの言葉を吟味するようにゆっくりと喋り始めた。
「素晴らしい人だと尊敬しています。何て言ったら良いのか、知力、行動力、計算力をお持ちで、しかも人を惹きつける人望までお持ちだ。商人として漢陽、いえ、朝鮮中を探しても、あれほどのお方はおられないでしょう。同じ男として憧れますよ。もっとも、俺なんて、足下にも寄れないですけど」
「あなたが父をそんな風に見ているとは思わなかったわ」
それは素直な気持ちから発した言葉であった。やはり、娘として父を褒められて悪い気はしない。
トンジュは笑んだ。
「俺が読み書きができるのは、大行首さまのお陰ですから」
「トンジュは読み書きができるのね?」
これも愕きだ。下働きの下男で読み書きのできる者は珍しい。中にはできる者がいないわけではないが、それは当人に向学心があって独学で習ったりした場合に限る。
そんな者であっても、簡単な文章なら読めるが、書くことはできないといった程度で、所詮は賤民の会得できる知識といえば、その範囲が限界だったのだ。
「大行首さまがおん自ら教えて下さったんですよ」
トンジュが懐かしむような口調で語った。
彼がこの屋敷に来て、半年ほどを経たある日のこと。七歳の少年は朝から晩まで雑用にこき使われていたが、ある日、水くみのために井戸端にいたときのことだ。
言われたようにすべての水瓶を一杯にした後、トンジュは側に転がっていた木ぎれで地面に字を書いていた。
もちろん習ったことなどないから、見よう見真似だ。数日前、この屋敷の主である大行首さまの居室の掃除をした際、偶然、文机の上に置かれている書物に眼をとめたのだ。
