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氷華~恋は駆け落ちから始まって~

第2章 氷の花

 本当に、トンジュという男は底の知れない深い湖のようだ。サヨンはこの時、思った。
 屋敷で見せていた寡黙で穏やかな若者、己れの目的を遂げるためには手段を選ばない―初めて見せた酷薄ともいえる全く別の面、更に商人としての優れた器と次々に思いもかけぬ面を見せてゆく。
「あなたは私という人間があなたの予想を裏切ったと言うけれど、私から見たら、あなたの方こそ、よく判らないわ」
 つい本音を吐露すると、トンジュが少しだけ眉をつり上げた。
「お嬢さまは俺をどんな男だと思っていたんです?」
「そうね」
 今度は、サヨンが慎重に言葉を紡ぎ出してゆく番だった。
「大人しくて無口で、陰ひなたなくよく働く人。そんな印象かしら」
「それじゃあ、全くの良い人ですね。俺はお嬢さまにとって、人畜無害の印象にも残らない、ただの平凡な男だったというわけですか」
 しまいの台詞は自嘲めいて言う。
「別にそんな意味で言ったのではないわ。あなたは誠実だし、他の人が嫌がるような仕事でもいつも進んでやっていた。私は、そう言いたかっただけなのよ」
 トンジュの声が尖った。
「それが何なんです? ただ良い人っていうだけじゃないですか。俺は、お屋敷に来てからというもの、ずっとお嬢さまだけを見てきたというのに、お嬢さまはやっぱり、俺をただの下男としか見てなかったんだ!」
 激したその様子に、サヨンは気圧された。到底、先刻の意味深な台詞について考えている暇はなかった。
「もう、止めましょう。こんな話」
 サヨンの提案にトンジュも敢えて反対しようとはせず、二人はしばらく気づまりな雰囲気のまま、その場に佇んでいた。
 氷の花たちは静寂を纏いつかせ、なお凜として眼の前にあった。

 氷の花を後にすると、周囲の風景はまた一転する。平坦な地形から、標高が高くなってゆくのだ。それまでは、はるか遠方に臨んでいた山々が次第に手前に迫ってくる。
 この辺りは四方を山に囲まれている。トンジュは少し歩くと、また立ち止まった。

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