氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第3章 幻の村
「町で必要なものを仕入れたら、できるだけ早く帰ってきます」
トンジュの声が耳朶をくすぐると、何やら得体の知れない妖しい震えが一瞬、サヨンの身体を駆け抜けていった。
―これは何なのだろう。
馴染みのない感覚にサヨンは戸惑い、怯えた。
慌てて身をよじって逃れようとするサヨンに、トンジュの端正な面がさっと翳った。
しかし、すぐ思い直したらしく、サヨンの髪をいつものように優しい手つきで撫で、ついでに額に唇を落としていった。
「では、行ってきます」
「気をつけてね」
トンジュが出てゆき、家の両開きの扉が閉まった。
サヨンは思わず振り返り、たった今、トンジュが出ていったばかりの扉を見つめた。
知らずトンジュの唇がかすめた額を手で触れてみる。その部分だけが何故か不自然に微熱を帯びているようだ。サヨンはその熱を冷ますかのように、勢いよく首を振った。
急に思い立ち、扉を開けて外に飛び出してみても、既にトンジュの姿はどこにもなかった。
家の外は、ぽっかりと拓けた平地と、その周囲を取り囲む鬱蒼とした森だけだ。
サヨンは気が抜けたように、その場に立ち尽くした。風が吹き、緑の葉が一斉に揺れ、ざわめく。その音がサヨンには、あたかも我が身の心の声のように聞こえた。
自分は一体、これからどうすれば良いのだろう。本当の想いは、どこにあるのだろう。
耳を澄ましても、樹々からの応えは聞こえなかった。
サヨンは先刻から何度目かになるか知れない溜息をついた。
その日一日をサヨンは殆ど何もしないで過ごした。遠い町まで用足しに出かけたトンジュのために何か精の付くものをと考えたのだけれど、サヨンはトンジュの好物を知らない。
悩んだ末、惣菜よりも菓子の方がわずかなりとも得意であったことを思い出して、焼き菓子を作ってみた。だが、夕方から始めた菓子作りは何時間経っても終わらず、結局は、またしても真っ黒になった菓子の残骸ができただけだった。
トンジュの声が耳朶をくすぐると、何やら得体の知れない妖しい震えが一瞬、サヨンの身体を駆け抜けていった。
―これは何なのだろう。
馴染みのない感覚にサヨンは戸惑い、怯えた。
慌てて身をよじって逃れようとするサヨンに、トンジュの端正な面がさっと翳った。
しかし、すぐ思い直したらしく、サヨンの髪をいつものように優しい手つきで撫で、ついでに額に唇を落としていった。
「では、行ってきます」
「気をつけてね」
トンジュが出てゆき、家の両開きの扉が閉まった。
サヨンは思わず振り返り、たった今、トンジュが出ていったばかりの扉を見つめた。
知らずトンジュの唇がかすめた額を手で触れてみる。その部分だけが何故か不自然に微熱を帯びているようだ。サヨンはその熱を冷ますかのように、勢いよく首を振った。
急に思い立ち、扉を開けて外に飛び出してみても、既にトンジュの姿はどこにもなかった。
家の外は、ぽっかりと拓けた平地と、その周囲を取り囲む鬱蒼とした森だけだ。
サヨンは気が抜けたように、その場に立ち尽くした。風が吹き、緑の葉が一斉に揺れ、ざわめく。その音がサヨンには、あたかも我が身の心の声のように聞こえた。
自分は一体、これからどうすれば良いのだろう。本当の想いは、どこにあるのだろう。
耳を澄ましても、樹々からの応えは聞こえなかった。
サヨンは先刻から何度目かになるか知れない溜息をついた。
その日一日をサヨンは殆ど何もしないで過ごした。遠い町まで用足しに出かけたトンジュのために何か精の付くものをと考えたのだけれど、サヨンはトンジュの好物を知らない。
悩んだ末、惣菜よりも菓子の方がわずかなりとも得意であったことを思い出して、焼き菓子を作ってみた。だが、夕方から始めた菓子作りは何時間経っても終わらず、結局は、またしても真っ黒になった菓子の残骸ができただけだった。