氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第3章 幻の村
サヨンは思い切ったように顔を上げ、ひと息に言った。
「私のたった一つの特技は刺繍なの。まあ、漢陽にいた頃は、趣味でしかやったことはないんだけれど、これを何とか仕事に活かせないかと考えているのよ」
「こんな山奥の森の中まで刺繍を買いにくる物好きはいませんよ」
揶揄するような口調には、かすかな皮肉も混じっている。サヨンの持ち前の勝ち気な気性が頭を持ち上げた。
「トンジュ、私は冗談や思いつきで、この話をしたわけではないのよ。悪ふざけは止めて欲しいの」
ここまで来ることができるのは、今のところ、元村人であったトンジュだけだ。なのに、ここで刺繍を売っても意味はない。そのような無意味な話を最初から自分がするはずもないのに、トンジュは、どうして、わざとあり得ないことを持ち出して話をはぐらかそうとするのだろう。
「ここで売らないのなら、一体どこで売るんです?」
トンジュは依然としてサヨンを見ない。視線は町から持ち帰った袋に向けている。
「あなたが町に薬草を売りにいく時、私も一緒に連れていって貰えば良いのではないかしら。そこそこの規模の町なら、露店も多いでしょう。自分で店を出しても良いし、店をやっている人、例えば雑貨店なんかに置いて貰っても良い」
「流石は大行首さまの娘ですね。女だてらに、ちゃんと考えることは考えるんだ。世間のことも何も判らないお嬢さんだと思っていたのに、商売の才覚はあるんだな」
またしてもその言葉に刺を感じ、サヨンはつい声を荒げた。
「今夜のトンジュはおかしいわ。私が何を言っても、ろくに取り合ってくれない」
「そう言うあなたの方こそ、妙じゃありませんか。何故、いきなり今夜なんです? どうせ今日一日、ろくでもないことを考えていたのではありませんか? 俺が留守をしていても、一人では逃げ出せないので、今度は町に出る俺に付いてきて隙を見て逃げ出すことにしたのでは?」
「私は残念ながら、トンジュを買いかぶっていたようね。あなたはもう少し道理の判る男だと思っていた。目的を遂げるためには手段を選ばないところもあるけれど、情理も備えていて、高い場所から大きな視野で物を見ることのできる人だと信じていたわ」
「私のたった一つの特技は刺繍なの。まあ、漢陽にいた頃は、趣味でしかやったことはないんだけれど、これを何とか仕事に活かせないかと考えているのよ」
「こんな山奥の森の中まで刺繍を買いにくる物好きはいませんよ」
揶揄するような口調には、かすかな皮肉も混じっている。サヨンの持ち前の勝ち気な気性が頭を持ち上げた。
「トンジュ、私は冗談や思いつきで、この話をしたわけではないのよ。悪ふざけは止めて欲しいの」
ここまで来ることができるのは、今のところ、元村人であったトンジュだけだ。なのに、ここで刺繍を売っても意味はない。そのような無意味な話を最初から自分がするはずもないのに、トンジュは、どうして、わざとあり得ないことを持ち出して話をはぐらかそうとするのだろう。
「ここで売らないのなら、一体どこで売るんです?」
トンジュは依然としてサヨンを見ない。視線は町から持ち帰った袋に向けている。
「あなたが町に薬草を売りにいく時、私も一緒に連れていって貰えば良いのではないかしら。そこそこの規模の町なら、露店も多いでしょう。自分で店を出しても良いし、店をやっている人、例えば雑貨店なんかに置いて貰っても良い」
「流石は大行首さまの娘ですね。女だてらに、ちゃんと考えることは考えるんだ。世間のことも何も判らないお嬢さんだと思っていたのに、商売の才覚はあるんだな」
またしてもその言葉に刺を感じ、サヨンはつい声を荒げた。
「今夜のトンジュはおかしいわ。私が何を言っても、ろくに取り合ってくれない」
「そう言うあなたの方こそ、妙じゃありませんか。何故、いきなり今夜なんです? どうせ今日一日、ろくでもないことを考えていたのではありませんか? 俺が留守をしていても、一人では逃げ出せないので、今度は町に出る俺に付いてきて隙を見て逃げ出すことにしたのでは?」
「私は残念ながら、トンジュを買いかぶっていたようね。あなたはもう少し道理の判る男だと思っていた。目的を遂げるためには手段を選ばないところもあるけれど、情理も備えていて、高い場所から大きな視野で物を見ることのできる人だと信じていたわ」